間違ったことを言ってはならないのはある意味で「その通り」なのよ。なんせ間違ってるんだし、別に仕事での多少のミスとかなら間違えてもいいけれど、差別発言とかそういうのは「絶対にしてはならない」こととされているので。①絶対にしてはならないことなので間違えることが許されない。②他方で差別については特定の答えを覚えてそれを機械的に適応するだけではなく、常に問題を考え続け学習を続けていく必要があるのだが、③学習するには安心して間違えられる環境が必要で、④SNSはそのような場所になってないどころか、逆に学習を阻害する要因が強い、っていう。
未読でもOK!【オンライン開催】レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』読書会 第1回
https://humanities.connpass.com/event/292482/
https://archive.org/details/grammairedesarts00blan/page/n7/mode/2up
https://www.peoplecontemporary.com/272829
瓦そばはガチで存在しているのでご確認よろしくお願いします。
https://yamaguchi-tourism.jp/feature/kawarasoba
やっぱりウェブにも書いてないよな...。
カタログ流し読みしたかんじでは(買っていない)、松田政男の「なんでもない風景こそ権力によって作られている」という批評がこの展示でいう「風景論」で、中平卓馬もそれに影響を受けている。展示の意図としては松田/中平の「風景論」以降という話だとおもうのだけど、中平も松田も順路の最後なもので「??」ってなっていた。
実際『トランスジェンダー入門』と『トランスジェンダー問題』を読んだと自称する、自分をGCだとする筋金入りのTERFとコンタクト取ったときも、「どちらの本も個別事情を取り扱うにすぎない」「討論するための理論書にはならない」と一蹴したうえで、「GC(TERF)とラディカルフェミニズムの本を読めばあなたもGC(TERF)こそ正しいとわかる」という主張だったものな。
自分たちはマクロとして身体女性という定義は絶対で性別は男女しかない、という正しい理論を持っていて、『トランスジェンダー入門』などはミクロ(個別)でしかないからイレギュラーとして取り扱わなくていい、から一切動かない
図書館や古書店で「買った」を著者に告げるかどうかという議論において、図書館を利用する「しか」古書店で買う「しか」ない層、貧困に喘ぎながらなんとか本に手を伸ばしている層のことを考えてしまって、告げることに対する自分の考えを、というところまで辿り着かない。
本を作って売る仕事をしているので、そりゃ新刊で買ってもらえるのがありがたいけど、いまの時代、「本を新刊で買える」ということがずいぶん特別なことになりつつあるんじゃないかというのをcovid19が蔓延し始めてから肌で感じていて…。
給料上がらないのに、物価がどんどん上がっていって、それは本だけじゃないし、生物的な生存と、精神的な生存と両方を両立させることがすごく難しくなってる。
図書館や古書店が、定価で買うことのできない層に本を届けているのは事実で、それが人の命を救うということもたくさんあるのだし。