お待たせしました!僕も制作に参加したあの「ZINEおかけん」、6/23(金)の夜に通販開始します!
岡﨑乾二郎にインスパイアされた執筆者が、それぞれの問題意識と方法で導き出した実践の記録。音楽、詩作、読書会、ワークショップ、エッセイ、眼鏡まで。一筋縄ではいかないバラエティに富んだものになっています。
どうぞよろしくお願いします!
バウハウス的なデザイン観だと、個別的な媒体の研究と、それをうまく秩序形成していくという二段構えで、初期にアレコレの事情がありつつも手工親方と形態親方の種別を形成したのも、素材にたいして形式を与えるという古典的な観念にしっかり則っている。
これじたいは現代でも通用するデザイン観念だとおもうけど、こういう考えでいくと、形態訓練としてのデッサンとかが横断的な技術として把握され、素材をどうやって分類するかという話になってくる。バウハウスでも専門がわかれるのは当初は素材の差で(金工とかテキスタイルとか)、「インダストリアルデザイン」という観念も、近代的な産業と前近代的な手工業の差は素材の差だと把握するようなカテゴリーになっているとおもわれる(これは現代の美術大学でも見ることができる区別だ)。
これじたいは現代でも通用するデザイン観念だとおもうけど、こういう考えでいくと、形態訓練としてのデッサンとかが横断的な技術として把握され、素材をどうやって分類するかという話になってくる。バウハウスでも専門がわかれるのは当初は素材の差で(金工とかテキスタイルとか)、「インダストリアルデザイン」という観念も、近代的な産業と前近代的な手工業の差は素材の差だと把握するようなカテゴリーになっているとおもわれる(これは現代の美術大学でも見ることができる区別だ)。
ゴットフリート・ゼンパーが1851年のロンドン万博を見て書いた論文に「機械は縫い、編み、刺繍をし、彫り、描き、人間の手わざの領域に深く入り込み、あらゆる人間の熟練を顔色なからしめている」と書いて、新技術が適切に使用されていないと論じているそうなんだけど、170年たってほぼ同じような議論やっているのは、なんだろうな...。
マノヴィッチ、ニューメディアの言語積んだまま文庫がでることになってしまった。
Software takes command の抄訳とインスタグラムのやつを読んだけど、マノヴィッチを使うためのいくつかの文脈が欠落しているとは感じる。
Software takes command の抄訳とインスタグラムのやつを読んだけど、マノヴィッチを使うためのいくつかの文脈が欠落しているとは感じる。
文フリ同人誌のBANDIT(1号でしかゲーム関連してないかも。1号はRTA特集)も吉田寛がいるし、フィルカルと同様に研究者優勢かなって感じ。
マノヴィッチはことさら批判もされてないけど、ことさら珍重もされてないって感じだと思う。ゲーム研究上、被参照度が高いものは松永がどしどし翻訳してる、つまりユールとかシカールとかの方が参照されやすい。
あれ、モホリ=ナギって観察者の系譜で触れられていないんだっけ...?モホリ=ナギ読んでたら、写真機にとって本質的なのは感光層であって、カメラ部分は二の次だっていう議論があり、まさに観察者の系譜っぽいなとおもったけど。観察者の系譜巻末のインデックスには名前がない。