サロンとかメディアとか、中間的な社会(国家とかそういう大きな単位ではなく)における芸術作品という記述装置がないと、鑑賞行為が「作品-鑑賞者」という直接的で単純なモデルになってしまう。それで色とか形とか、直接的な要素の説明になってしまう。今回のマティスが「The Path to Color」、来年が「自由なフォルム」。こういう鑑賞モデルが想定されてしまっている。
もっとも、こういうのが、インスタグラム的なものやグッズ開発とめちゃくちゃ相性がよい、というのも背景にあるんだとおもうけど。
もっとも、こういうのが、インスタグラム的なものやグッズ開発とめちゃくちゃ相性がよい、というのも背景にあるんだとおもうけど。
日本の美術史業界、近代美術やるひとがイコノロジーやっていないパターンがおおいのがめちゃくちゃ痛くて、サロンなり批評なりメディアなり表象の流通システムのなかでの芸術という存在者の記述ができないのも、イコノロジーの概念装置群が輸入されていないためだとおもう。絵解きみたいなものとして理解されてしまった。イコノロジーはフォーマリズムを存在論的に問いなおすことから始まっていて、いろいろな概念装置を作っているけど、そのへんがたぶん学術的に輸入されていないんだろうとおもっている。たぶん、これがキュレーション上でも芸術作品の社会性記述の欠如という欠陥を生みだしているようにおもう。
天重さんの反応と、記事反応者の駄目なリアクションのいくつかを見た(池田のはクソリプすぎて吹いた)。
私はフォーマリズムの達成への関心が希薄化していることに対しても危機感を覚えるので、フォーマリズムによって「表象の政治」を棄却するのは駄目としつつも、両方のアプデを図りたいかな。
反応にはそういう両方を採る論説が無いことの方がやばいと思う
ソクラテスの死 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%BB
これ論理学の学習者がつけたタイトル (?)
こういう感想がわりとあるっぽいのがよかった。めんどくさがらずに説明すればいいだけのことで、それも美術のおもしろさなので。
https://twitter.com/tarushirazu/status/1653350756932800514
https://twitter.com/tarushirazu/status/1653350756932800514
https://twitter.com/tatuya_kannagi/status/1653200916743606272?t=klzJCCWjemZ9MjdS1-PWBw&s=19
> あの… Twitterさん…?
> API有料化したから金払えよ!ってメールについてきたリンク先…
> ローカルアドレスなんですけど…?
草草の草
リンダ・ノックリンいま読みはじめてて(いまさら)、おもしろいというか、自分の関心とめっちゃ近いやんっておもっているけど、リンダ・ノックリンを通じてしか植民地主義について語れない、あるいはリンダ・ノックリンについて語っていれば植民地主義について語ったことになる、という勘違いが業界にある。自分自身がどういう位置に配置されているのか、そういうことが問えていない。
@on1000mark 今度温マさん揶揄します
@momdo す、救いはないのですか...
@tenjuu99 インターネット害悪だけど、労働が害悪のようなものなのでなかなか逃げにくそう
@on1000mark いやほんとにごく一部の反応で、批判ならいいけど揶揄だけされてましても...という感じです。論証っぽい見た目を持たされているだけに反応せざるを得なかった...。インターネット圧力に負けてしまった。