日本の美術史業界、近代美術やるひとがイコノロジーやっていないパターンがおおいのがめちゃくちゃ痛くて、サロンなり批評なりメディアなり表象の流通システムのなかでの芸術という存在者の記述ができないのも、イコノロジーの概念装置群が輸入されていないためだとおもう。絵解きみたいなものとして理解されてしまった。イコノロジーはフォーマリズムを存在論的に問いなおすことから始まっていて、いろいろな概念装置を作っているけど、そのへんがたぶん学術的に輸入されていないんだろうとおもっている。たぶん、これがキュレーション上でも芸術作品の社会性記述の欠如という欠陥を生みだしているようにおもう。
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