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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

ワークニ、まとまった金持ってるのが国しかなくなった結果、全てのビジネスモデルが「国からいかに金を引き出すか」に行き着いてしまい、商品やサービスの優劣で競うのではなく、「いかにして国の有力者(政治家・官僚機構etc)に結びつくか」が勝敗を決める世界になっているので、そんなビジネスモデルから「国際競争力」などが生まれるはずもないのであった

Four wild goats putting on a show by posing on a fallen tree. 🐐 🪵

Nice contrast between this shot taken with a DSLR and telephoto lens versus the previous phone shot I shared.

4 wild goats posing on a fallen tree.

ボルヘスの”地理院は一枚の王国の地図を作製したが、それは結局、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬものだった”というフレーズが出てくるのなんだっけ
→『学問の厳密さについて』だった
→ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ・完結編』にも1マイル:1マイル縮尺の地図が出てきて、”今では地上そのものを地図に使っとります。代用にはなりますぞ”というフレーズが出てくる
→人間と寸分違わぬAIが出来た結果、人間をAIの代用にする
みたいなことを考えていた

分析哲学系の記述の裏のなさがすごくて、自分みたいにふだんからテキストに書かれていないことを読みとろうとすることに慣れていると、そしてそういう読解を要求するためにしばしば「隠す」癖のあるテキストを読みなれていると、書かれていることが全てでなんの裏もなくすべては表面である、自分がふだん読んでしまっているテキストはなんなんだ

この七つの文字

テクストのなかで歴史的な諸概念が平気で書き換えられるのを見ると「え、こんなんやっていいの?」ってなるな。操作主義的なあれなんだろうけど。

分析哲学的なテクスト、理論的言明がほぼ無条件に成立しちゃうところがすごいな...。

「存在論」も「認識論」も「現象学」も、どれも用法がおかしいやろとおもったけど、これはある主張を受けいれることができるかどうかのクライテリアとして利用するものなのか...。

これは要約だから本編では違うのかもしれない

これ「低次性質」が色や形などで、「高次モード知覚」というのは低次性質が「ゲシュタルト的なまとまり」をもって知覚されるモードであり、そのような性質をもった知覚対象を高次性質と呼んでいるけど、「高次モード知覚」ってカントの統覚や超越論的統覚の問題だよなぁ。やりかたは分析哲学っぽいけど、やっぱりカントから進歩しているようには見えない...。どっちかっていうと、超越論的統覚のような自己同一性をもとにして統覚が成立するみたいなカント説に反論してほしい。
あと、低次性質の「あの花は赤い」ときの「赤」みたいなのは知覚じゃなくて感覚だとおもう。それが命題の形を取るなら認識だけど。なぜ知覚という概念だけでやっているのかがいちばんよくわからない。

うーん

読んだ

知覚と判断の境界 : 知覚はどれだけのものを捉えられるか(要約) 源河 亨
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=KO10001001-20154396-0004

@ayu_mushi ありがとうございます。意味がとりづらい文がけっこうあったので(おそらく語彙の用法の点で)、いくつかあたってみたいとおもいました。

「志向説によると」とかでてくるけどこれは誰の説なのか教えてほしい...。志向説って一般にはブレンターノの概念をフッサールが現象学に流用しているやつ(意識とはつねに何かについての意識である)だとおもうんだけど、概念が混乱しているっぽい気がするんだが。「表象」もよくわからない...。

読んでるけど、なんかこれはカントからそうとう後退しているっぽい印象があるぞ...
https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2019/proceedings/pdf/JCSS2019_O2-2.pdf

この区別はどのように問題になるのだろう
https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2019/proceedings/pdf/JCSS2019_O2-2.pdf

ヒュームの場合はセンスデータ論の以下の8項目のうち、(8)の「センスデータは、感覚という作用自体、センスデータを把握する感覚作用自体とは区別される」という項目以外には同意している可能性がある、とのことなので、ヒュームはセンスデータ論にかなり近いと

感覚与件(センスデータ)は悟性によって組織されて知覚される。感覚と知覚が区別されて、感覚は認知の対象ではない。

ちゃんと読んでないけど、デカルトは赤の観念がそれ自体赤いと考えているわけではないので、間接実在論ではあるがセンスデータ論ではないのかな https://plato.stanford.edu/entries/sense-data/

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