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クリエイターによるつくるという行為に対する素朴なロマンティシズムへの回帰、リサーチベースドアートとかにも内在しているとおもう(まったく批評的ではない形で)

「つくるという行為への素朴なロマンティシズム」というようり、クリエイターというものの神格化というほうがよさそうだけど

というか、アートを成立させる中央集権的な装置(美術館とか美術史とか)や市場のなかで活動する限り、クリエイターの神格化から逃れることはできないはずだとおもう。見かけが素朴であるかどうかの違いがあるだけで。
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>アートを成立させる中央集権的な装置(美術館とか美術史とか)や市場のなかで活動する限り、クリエイターの神格化から逃れることはできない

これは美術館とか市場とかが、生産者と消費者を分割する装置だからそうなるので、たとえばプログラマーに対する市場の過度な期待もこの手の神格化に分類できそうに感じる。消費者は「自分には作れない」ものを生産者に期待する。

自分の頭のなかで想定していたのは川俣正だったりするけど、川俣以降に田中功起さんとか奥村雄樹さんとかがいる。このへんの人たちが、川俣的なアートプロジェクトの形態を踏襲しつつ、その権威的構造を批評するような作品(アーティストの権威性をメタるような)を作っていたと考えても、その構造を内部に表象として取り込んでみせているだけで、構造の解体にはぜんぜんならない。アーティストの権威性が担保されていないと作品にならない。こういう経緯でもクリエイターの神話性みたいなものは温存されてしまう(というか強化される)。