忘れないようにメモしておく。
90年代のニューアートヒストリー全盛の中でアカデミックな教育を受けた私にとって、マティスほか近代の巨匠たちを男性中心主義、植民地主義的な価値観で問い直すというのはむしろ主流の議論で、その前提からいかに次の議論がありうるか、と言うのが私たちの世代の課題であるという認識でおりました。(カタログに掲載されたマティスのアフリカ彫刻の受容についてのアステア・ライトさんの論考は、その言説に閉じ込められたマティス像を開くという意図を持っています。
これについて、まあそういうふうに思っていたんだろうなと思うんだけど、「その言説に閉じ込められたマティス像を開く」みたいな言い回しに、「男性中心主義」や「植民地主義」で何が議論されていたのかの内実を無視して、たんにその抑圧だけを感じていたんだろう。その鬱屈が90年代以降のフォーマリズムへの過剰な迎合として、フェミニズムやポストコロニアリズムからでてきた議論をスポイルするものとして作用していた、としか読めなかった。