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「描かれた歴史 近代日本美術にみる伝説と神話」(1999)という展覧会のカタログを読んでいるけど、これはけっこうすごい内容だ

浅井忠の日清戦争従軍スケッチは知っていたけど、「旅順戦後の捜索」という絵は知らなかった。

当時、海外で「日本軍が旅順市民を虐殺した」という報道があり、日本政府は「兵士が民間人の格好をしていたのだ」と弁明していたらしい。浅井はこの絵を日清戦争中の第四回内国勧業博覧会に出品し、死体を描きつつ兵士だったとする政府見解をそのまま提示した。

これについて木下直之は、「浅井に限らず、画家が戦争画に死体を描き込むことを国民は期待したという現実を忘れてはならない」「国民は敵の死体を喜んで眺めたのである」と書いている。

浅井忠「旅順戦後の捜索」。手前には地面に力なく横たわる人間の死体が重なっており、現地の民間人とおぼしき姿をしている。日本兵が三人、その死体に関心なさそうに買い物をしている。

(画像は東京国立博物館より https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0078793)

太平洋戦争時のいわゆる戦争画というものは、一時的なものでもなんでもなく、明治以来の日本画壇で発展してきた歴史画そのものだった。
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印象主義からマティスあたりの近代ヨーロッパ絵画の展覧会が人気になる理由って、「浮世絵が印象派以降のヨーロッパに影響を与えた」ことが、日本の観客にとってかなり口当りがよいからですよね。浮世絵→印象主義という系譜を描くことによって、日本の近代絵画史を忘却することができる。