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スピヴァク、寡婦の焼身自殺についての分析が難解すぎる

おおまかには、女性の「主体性」がいかにご都合主義的に構築され、排除されてきたかを論じているのはわかる。読みながら、江戸期に吉原にいく女性にまつわる言説の分析にも応用できそうだなとは思うけど、なんにせよ難しい。

インドのインテリ階級にとって寡婦の殉死は女性の称賛すべき主体性の発揮であったが、植民者イギリス人にとって殉死した寡婦は支配階級による被害の結果であり、イギリスは「茶色い男性から茶色い女性を救った」ことになる。
どちらにしても寡婦の声は明らかではないが、勇敢な主体として構築されたり、被害者として構築されたりと、ご都合主義的に「主体」は構築され、もしくは消去される。
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これ、浮世絵をめぐる諸問題としていまだに見る構図なんだよな。テレビないので蔦重のやつ見てないけど、前の芸大での吉原展の賛否も女性の主体構築による称賛か、被害の隠蔽かで対立するように見えるのだが、どちらにも賛同できないなと思っていたのがスピヴァクの分析に倣って思考できそうな気はする。