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本文より註が長いことで著名な(?)パノフスキーの「象徴形式としての遠近法」、同年にエル・リシツキーが書いた論考への考察を註で促していて、かなり急ぎで盛り込んだものとおもわれる。そのことが、彼の遠近法への関心のありかたを物語っていて、「象徴形式としての遠近法」という論考じたいがキュビスム・抽象絵画の登場による発展史観へ精緻な反論として書かれたのだという読解が可能になる。

これは牽強付会な読みではなくて、パノフスキーはあきらかに多視点表現の発達経路を把握しようと努めている。キュビスムにおいて喧伝された多視点表現が成立するために必要となるのは、世界と視点の関係がときほぐされ、世界を任意の視点から眺めることができるという条件が確立することである。「視点なしに存在する自律した世界」という世界像が確立することによって世界は任意の視点から眺めることができるようになる。パノフスキーの論述は、ルネサンス遠近法から射影幾何学への展開をキュビスムの登場に結びつけようとしている。この展開のなかにいかなる変化が含まれているかがパノフスキーが問題にしていたことだった。

みたいなことをここに書いてもまじでしょうがないんだけど供養する場所もなく...。

本文が自律的な内容をもちつつ、註を読むことによってまったく別な含意が読みこめてくるような註があるとすごい興奮する
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