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おかけんのこのめんどくさい文章を、美術解説してしまう人が

「既存の事実だけで物事を判断するのは批評ではない」
「最近の”批評”は既にある事実と照らし合わせる方法でしか論じられない」
と書かれています。

と要約していて「???」ってなった https://critique.aicajapan.com/7200

おかけんのこれ自体も、想定されているのがカント的な主体で、その枠組みの中で主体の撹乱をしても根本的なところで限界を感じる。これはマティス展の図録読んだときに、おかけんの立論がおもしろくないと思ったことそのままなんだけど(同じこと書いてるので)。
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ここで想定されている「主体」ってさまざまな社会的関係から切り離されて孤立する存在なんよね。「責任」とかはまさにそういう主体に紐付けられるんだけど、このような「主体」の分裂性を主張したところで責任主体を不明瞭化していくだけなんだよな。

おかけんの議論はそういうところに陥っていると思う。
自分は、主体中心の考えはもう持っていなくて、モノを社会関係のなかに再配置する、主体もその中に配置する、とりあえずはそういう考えを採用している。