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2月までか、気になってたし行こうかな
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/anarchism_and_art
この文脈で国内事例としてコーポ北加賀屋が特権的に切り取られるの納得いかないな〜とおもっちゃうんだけど、平成美術に対しても「年表にあそこがない、ここがない、それはなんでだ」と椹木野衣に文句つけたって話を先日聞いたのだった。
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まあ見てみないと判断はつかないんだけど、「コーポ北加賀屋を特権的に扱う」というか、ようするにキュレーションが「アナーキズム的な志向をもった人たちがアナーキズムの実践としてコレクティブな活動をしていた」みたいなパースペクティブでやっているんじゃないかという疑惑をぱっと抱いてしまう。そうじゃなくて、アナーキーな実践はそもそもそこらにあって、それを排除するのは制度と制度の内面化なのだ。自生的なネットワークからたまたま名前が残る集団や場所がいくつかあるというだけのことで、そこには思想もクソもなくて、そういうのが発生するような環境がある。

国立奥多摩美術館の人たち、なんの権利で「国立」と名乗ってるのか?とおもうけど勝手に名乗っているだけで、それが10年も続いてしまうと、「なぜ勝手に国立を名乗ってはいけなかったのか?」という問いに変化してしまう。「国が運営していないと国立と名乗ってはいけないのでは...」みたいなものが制度の内面化だけど、彼らには思想もなにもなく単に「国立」と名乗ってみただけなのだった。アナーキーとはこういうことなのでは?みたいなところがある。彼らはアナーキストですらない。