全共闘の分裂を決定づけた華青闘告発(1970)、全共闘的な運動が植民地主義に向きあっていないという華僑学生による告発があるけど、これ単一だとおもっていたアイデンティティが、集団内部で馴らすことのできない多様なアイデンティティをもっていて、「労働者」みたいな単一的なアイデンティティだと、実はそこに隠れた前提があり(全共闘の場合は「日本人」というのが隠れた前提)多様性を踏み潰してしまう、みたいなことになるのかなと。
藤高さんの「バトラー入門」読んだときも、おおむねの流れの理解としては上記とおなじで、ようするに「女」という単一のアイデンティティでほんとに多様なる性が包摂されるのか?というのが第三波フェミニズムの始まり、と理解している。
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