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織田の個人主義みたいなものは、額面どおりの個人主義というより、「原爆体験をみんなの共有の体験」とするというような操作によって個人の経験の固有性が捨象される、みたいなところにあるとおもう。「唯一の原爆被爆国」という言い回しも「日本」という回路を通さないとでてこないのだけど、それは原爆体験へのそれぞれの距離を捨象している。丸木夫妻が批判されるのはそうした理由であったとおもう。
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一九四五年夏、広島の無数の非武装大衆の頭上に妖しい閃光が開き、一瞬の後、そこが巨大な死と無人の広がりに変貌したころ、遠く離れた東京近郊に栄養失調気味のからだをもてあまして私は不思議にも無事であった。しかし、広島市は一発の特殊爆弾の投下によりほとんど全滅、のしらせが、私たちのところまでとどくには、そんなにひまがかからなかった。ひるむということではなく、本土決戦をまたずに全民族の敗亡は時間の問題かも知れぬという暗い予感が覚悟として胸のなかに立上がるのをおぼえた。広島の方角の空の一角を仰ぐと、その灰色の曇りぞらが彼方から私の心を吸引するロートのように一瞬へこんで見えたが、そんな幻覚とかかわりなく、曇りぞらの下には戦時下の日常があり、人々はまるで今日の次には明日があるという自明さを寸分も疑わぬような風情で話しあっていた。実にそれは不思議な眺めであった。

織田達朗「存在の断崖にとどまる」

この記述は、広島に原爆が落ちたときに、織田と広島との距離をあますところなく描きだしている。彼は遠くの爆心地を思いながら、「全民族の敗亡」を思考する。それは彼と広島との距離を埋めたてる想像的な行為である。「民族」をつうじて、織田少年は広島の犠牲者と一体化する。だが実際はそのようにはならず、織田少年は生き残った。ここに、広島との想像的な一体化と、実際の懸隔があり、この断絶のことを織田は「存在の断崖」と呼んでいる。

織田がここで爆心地広島との距離、「存在の断崖」として経験していることは、ナショナリズムと呼ばれるものの境界線の経験そのものだ。ナショナリズムは想像力のなかで国家を生み出し、その想像的な国家に自己を包摂されることによって成立する。織田の経験はこの包摂から切り離されてしまったものとしての自己の経験である。