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先日、菅亮平さんの展示の最終日だったので丸木美術館に行き、原爆の図もはじめて見た。原爆の図は飲み込まれるような凄みがあり、感想にするのはなにか控えさせるものがあった。
それから、織田達朗「『原爆の図』とその周辺」を読んで、丸木夫妻の「原爆の図」が表象するのが、原爆と被害者という図であって、その責任主体が誰かというレイヤーに欠いているというしごくまっとうな指摘があり、納得するとともに、織田のテキストには自分の感想を書きかえるような効果があった。
原爆投下には、昭和天皇のたびかさなる判断留保やアメリカの決定というようなレベルで責任主体は当然いて、自然災害でもなんでもないが、丸木夫妻は地獄図絵として描きだすことで「被害者」というものの神聖性を作りだしてしまう。

織田がそのテキストで対比的に語るのが鶴岡政男についてで、鶴岡は中国戦線に従軍し、結果としては誰も殺さなかったが、中国人を処刑する役になったが銃弾が外れ、他の人の銃弾によってその中国人は処刑されたそうである。鶴岡はたしかに戦場で人を殺さなかったかもしれないが、自身があきらかに「加害者」の側の人間であるという自覚は終生消えなかったようだ。鶴岡がキュビスム的な様式を利用するのは、もはや人間の神聖性というものが粉々になっていたからで、丸木夫妻がそうしたようには聖母子的なイメージなどつくりようもなかった。
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「中国に兵隊で行き、ひと一人も傷つけもしなかったが、一度、銃殺刑の銃手を命ぜられた時があったが、しかし他の弾で受刑者は死んだ。私は今でも割り切れない気持ちでいる」(美術手帖、1950年6月号)

織田は香月泰男については書いていないが、「『原爆の図』とその周辺」は香月がシベリヤシリーズを発表するよりすこし前ではある。香月もまたシベリヤシリーズをつうじて被害者としての戦争観を提示しつづけた画家だったとおもう。

戦争における被害の強調によって、被害者による加害の事実が消去されてしまうという事例について、どうしてもイスラエルのことを想起してしまった。WW2においていわば人類史的な犯罪の被害としてアウシュビッツと原爆があり、この被害を前にして語るべき言葉を持たないのはそうかもしれないが、その沈黙は被害者が他方においては加害者であるという事実を隠すことに加担してしまう。