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ぜんぜん関係ない話を想起していたんだけど、アートの場合だとマーケットそのものが「現代アートマーケット」と「地方的なアート(おみやげ的なものとかも含む)」みたいな形で分離していて顧客層や対象となる作品の分類じたいが差別的という現状があるのだけど、音楽のばあいはだいぶ事情が違いそうという感じがある。単一のマーケットが成立しているというか、その単一のマーケットの存在じたいが技術(の単一性)によって形成されている側面があり、技術の分析に意味があるのはそのへんなのかなとおもったり。アートは相対的に現代的な技術の浸透がすくなくて、それがマーケットの分裂的状況の背景にあるんじゃないか。記事とあまり関係ない感想。

https://www.ameet.jp/digital-imaging/5621/

単一の技術的環境にモノがのってしまえば、その枠内で交換可能になるものがあり、技術的環境はそうした枠組みを提供しがちではある

というか、技術的環境によって、技術で扱われる対象がその枠内で交換可能なものに変容させられるとでも言えばいいのかもしれない

アートが技術的環境の侵入を頑なに拒むのって、手作業的なものへの信仰の残存もそうだし、そもそも交換不可能なものをその価値の根拠としてきたから、技術的環境が提供しがちな交換可能性と相性わるいのはそうかもしれない。
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