Art since 1900 の1992年、批判的人類学を取り入れたアーティストが、美術館からの依頼で仕事をして、それが美術館・美術制度の批判的な内容であるとき、「ミュージアムそのものが内部的に分析を企ててもよかったはずなのに、そうではなく外部からこの種の批判を輸入して済ませているかのように見えたりもする」と書いている(ハル・フォスター)。
これめちゃくちゃわかるというか、前の西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが...」展で思ったことそのもので、「そんな自問自答は自分でやってそのプロセスをキュレーションしろよ」とおもった。それをせずに、アートフォームにおいては任意の批判が可能であるから例の抗議活動が成立した、というのは美術館がまさに自問自答などしていないことの証左でしかなく、責任そのものをアウトソースする行為だと思った。つまり「批判」の責任をとらなければならないのはアーティストになっていて、美術館による美術館の自己批判ではない。かなり悪質だとおもった次第である。
これめちゃくちゃわかるというか、前の西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが...」展で思ったことそのもので、「そんな自問自答は自分でやってそのプロセスをキュレーションしろよ」とおもった。それをせずに、アートフォームにおいては任意の批判が可能であるから例の抗議活動が成立した、というのは美術館がまさに自問自答などしていないことの証左でしかなく、責任そのものをアウトソースする行為だと思った。つまり「批判」の責任をとらなければならないのはアーティストになっていて、美術館による美術館の自己批判ではない。かなり悪質だとおもった次第である。
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