自分の行為からあるアウトプットにいたる変換が、アナログかデジタルかというのはあるけど、それってほんとうにそんな根底的な差異をつくりだすのか?ツールによる制約や拡張性の差はある(カットアンドペーストとかはデジタルのほうがはるかにやりやすいのは間違いない)けど。ツールのデジタル化によって、対象と身体との連続性の感覚は個人的な開きがある問題だとおもう。
落合はバットと手の感覚が狂うからグローブを嵌めなかったらしいけど、大谷はグローブ嵌めてる。アナログ領域でも道具と身体の直接的関係性のありかたにはかなり個人差がある。