pleroma.tenjuu.net

星野氏の記事、リベラルが云々とかしょうもないこと書くからつっこまれているけど、言葉が消費される環境ができあがっており、その環境においてはどのような言葉も消費される商品にしかならない、ということにちゃんとフォーカスして書けばよかったのに。

リベラルが正義に依存しており云々というより、自分の言葉が否応なく商品という回路に取り込まれるということを分析すべき
というか、その朝日記事そのものがまさに商品としての言葉になっているわけだから

https://www.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html

言葉の通じなさにぶつかるたび、リベラルな言論まで含めて、この社会全体のカルト化が進んでいるように感じます。

11年たって、この傾向はもはや日常化している。日本だけでなく、世界中で。私が期待した、個々人が自分は何に依存しているのかを探るという作業は、あまり進まなかった。

こういうのを、内面に求めるのが意味わからないんだよな。個々人が依存しているのはSNS含めたメディアじゃないの。

replies
0
announces
1
likes
3