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シオニズムを近代的植民地主義の延長とみなすのはやっぱり間違っているんじゃないかな。とおもったらちょうどこういうのがあったので読む。

委任統治下パレスチナにおける「民族対立」の創出の背景
金城 美幸
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yudayaisuraerukenkyu/32/0/32_60/_article/-char/ja
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ああー、「帝国主義」という用語と「植民地主義」という用語の差の説明にかなり納得した。20世紀初頭にレーニンらをつうじて資本主義の発達への批判的用語として「帝国主義」は定着したが、「植民地主義」は1950〜60年代にかけて、アジア・アフリカ諸国の脱植民地化における経験を指して定着していった用語である。形式的には独立国家となったが、実質的には旧宗主国に対する経済的不平等があったりする場合にも、植民地的性格があるわけで、これを克服するために植民地主義という用語で分析枠組みを提供してきた。帝国主義は、むしろ帝国の内部での問題であり、帝国主義の分析では植民地になった側の経験を記述できない。アジア・アフリカが脱植民地化という過程に踏み出すなかで、同時期にイスラエルがきわめて古典的な植民地主義を再演していたことが注目された。
自分は帝国主義と植民地主義の用語はごっちゃにしていた。実際としては帝国のやっていたことの清算なんだけど、分析枠組みとしては違うことを理解しておかないといけない。

国民帝国は主権・国民国家としては内部における等質性と平等性を追求しつつ、帝国としてはそれらの異質な法域を統合しつつヒエラルヒッシュに編成して外縁を拡張していくこととなった。(中略)帝国とは、こうして多様性や混成性を許容しながら、中心(本国)を基準とした価値基軸からの隔たりによって差異を序列づけつつ、一つの統合体系の一部として包摂していく差異のポリティクスとして現れることになる。