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やっぱマティスは典型的なアプロプリエーション作家だと結論づけられるな。
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ゴッホもマティスもクレポン(ちりめん絵、外国人向けにつくられた浮世絵の一種)で色彩に目覚めるけど、これは単なるお土産品みたいなもので、粗雑であるが故に画面にしっかり色が定着していないという特性があるし画家やプロの摺師のコントロールから離れたものでもある。ゴッホとマティスは、このクレポンから色彩効果を学ぶけど、それはもとの画家(浮世絵師)の芸術的意図は完全に捨象したということだ。この過程は、理解ではなく変形と呼ぶにふさわしいもので、創造的行為である。彼らは浮世絵を理解することをやめて、単なる色彩効果として変形した。こういう過程はアプロプリエーションと呼べる。

これはキュビスムのピカソにもあったことで、前世代の印象派からゴッホまでは、まだ浮世絵のなかに日本文化の固有性が存在すると信じていたし、この文化固有性と作られたものとしての浮世絵を切り離すことが可能だとは信じていなかった。つまり彼らは浮世絵を通じて日本のスタイルを学ぼうとしていたんだけど、マティスとピカソはもうそういうことをやらなくなった。モノとそれが成立した環境は切り離して自由に解釈してよい、浮世絵から日本を知る必要はないしニグロ彫刻から"部族"を理解する必要はない。