いま読んでる本で、ゴッホの「種まく人」について、「彼にとってはこれが日本的な色調だったのだと思われる」というような記述があるんだけど、浮世絵の影響で画面から影を排除しているんだからゴッホにとって「日本的」な風景はひたすら光に満ちたものであるはずで、逆光を選んでいるのは彼にとってまさに「日本的ではない」表現にほかならない。ミレーの主題の神話的暗さも「日本的なもの(ゴッホにとっての)」からかけはなれている。
https://www.vangoghmuseum.nl/en/collection/s0029V1962
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「夜のカフェ」とかも、明暗法はつかっていなくても明確に明暗を作っている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7
「タンギー爺さん」とかは影を作らない。レンブラントの暗い「ラザロの復活」のオマージュも、影を排除しているのはわざとだろう。光の表現に着目して整理すれば、彼の絵から「西洋的なもの/日本的なもの」という観念を引き出せそうな気がするんだけど、とはいえラザロの復活が日本的かというと疑問ではある。このへん丁寧に読解している人の論考を読んでみたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7
「タンギー爺さん」とかは影を作らない。レンブラントの暗い「ラザロの復活」のオマージュも、影を排除しているのはわざとだろう。光の表現に着目して整理すれば、彼の絵から「西洋的なもの/日本的なもの」という観念を引き出せそうな気がするんだけど、とはいえラザロの復活が日本的かというと疑問ではある。このへん丁寧に読解している人の論考を読んでみたい。