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いやージャポニスム研究はめちゃくちゃ厄介な領域だな。批判的視点を欠くとすぐナショナリズムに転んじゃうので枠組みを丁寧に(批判的に)考える必要があるけど、オリエンタリズムの枠組みではぜんぜん足りないんだよな。単純なポストコロニアル現象とは把握できないのだけど、そういうこと言ってしまうとまた「植民地化されずに近代化を達成した唯一の非西洋国」とかいう神話が忍びよってきてしまってめんどくさい。とはいえ日本美術史という枠組みを相対化する手段としてはこのジャポニスムという外からの視点は欠くべからざるものでもあるんだけど、ジャポニスムでは西洋と日本が特権化されてしまって、たとえば「アジア圏での美術史」みたいな枠組みは組みづらくなる。
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それって拡張された西洋中心主義じゃんみたいな。実際に「西洋にも認められた日本文化」みたいな文脈でのジャパンに自己同一化してしまうのは現在でもかなりあるとおもわれ(というかそれが「ジャポニスムの150年」なんだろうけど)、浮世絵が印象派とかアールヌーボーとかに与えた影響とかそれがまた日本で影響を与えるという再帰的な文化反響現象とか、それ自体重要なトピックなのに、ここを切りだしてしまうという操作がけっきょく帝国主義的背景を隠蔽するものでもあり(実際に大正期から昭和にかけての日本はみずからの軍事国家という性格を隠すために文化国家宣伝したのだ)。
いわゆる「文化盗用」みたいな議論で日本が例外に見えてしまうのも、このへんが関わっている。

てかジャポニスムのあとってピカソやマティス、シュルレアリストらのニグロ彫刻・オセアニア彫刻ブームがあり、これらについてはMOMAの「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展(1984)の際にポストコロニアルな文脈で批判されている。ジャポニスムにはこの批判がないのはなぜなのかはけっこう重要な問いなはずで、日本はジャポニスムという現象を利用してセルフイメージとしてきたが、ニグロ彫刻やオセアニア彫刻にはそういうのがなく一方的な流用だった、という差がおおきいとおもう。