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明治10年代に神功皇后の三韓征伐とヤマトタケルの熊襲征伐が描かれたのが、朝鮮への野心とヤマト権力の正当性を語ろうとするものである一方、どちらも異性装に関する主題であるという点が気になっている。
明治期にジェンダー規範が確立して、一夫一婦制的な表象として明治天皇が利用されていたはずだけど、上記のヤマトタケルと神功皇后の図は、こういうジェンダー規範からは外れたもののように見えており、整理したら実は明治20年代以降この図が描かれていなかったりするのだろうか。

明治に輸入しようとしていた洋装も、ジェンダー差がかなりはっきりしたもので、男性は装飾を排した黒の上下、女性は華やいだ色とスカートのようなものなわけで、浮世絵みたいに男女の交換が可能な表現をしてしまう世界と合わないとおもうのだよな(浮世絵が男女交換可能な表現なのは歌舞伎に女形あるからと言えるけど)。
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熊襲征伐の図、芳年武者无類より
https://dl.ndl.go.jp/pid/1302752
これお話としては女装した小碓皇子(のちのヤマトタケル)が女装して熊襲タケルを殺そうとするところなんだけど、西南戦争の謂でもあったりするんだろうか。西南戦争であろうとなかろうと、女装的要素がちょっと飲み込めないんだけど。