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「やかん」ってちょうどアレグザンダーが「形の合成に関するノート」で例に出していたはずで、デザイン以前のデザインなんだよな。近代の分業体制のなかで確立した、製造ラインに設計図を描くという意味での「デザイン」ではなく、モノどうしの関係性で自己組織的にでてくるモノである、という。
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「自己組織的」というのは「形の合成に関するノート」時点でのアレグザンダーの意見ではないけど、アレグザンダーはこの論考のすぐあとくらいから、「デザイン以前のデザイン」に着目することになるはず。

この「デザイン以前のデザイン」についてアレグザンダーは「デザインの無意識」だと把握している。この「デザインの無意識」というのが、ほとんど物質的関係によって成立するようなモノのデザインみたいなもので、実際にアレグザンダーの説明に、ある金属製の板を水平なものにするには、もうひとつ水平な金属板とすりあわせることによってである、というような説明の仕方をする。
ノーマンの考えるような「デザイナーの概念モデル」とか「システムイメージ」とか「メンタルモデル」というのは、こういうような無意識的・物質的性格はない。むしろ、「意識的におこなわれたデザイン」のプロセスについてのモデル化で、アレグザンダー的にはそれはデザインの最終段階にあたる。