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「思想強い」という揶揄は先日されたものがかなり近いけど、この手の揶揄をする人に「何者かになりたい」という気持ちなど微塵もなく、むしろ主体というモノを全般的に拒否している。「思想強い」も「ポエム」も「お気持ち」もワンセットの嘲笑語彙で、どれも強い主体性を示唆している。何者かである人たちに嫉妬などなく、主体らしきものを持っていることを訝っているだけだと思う。

こういうニヒリズムは『地下室の手記』の主人公は近いですよね。まあ彼はナポレオンに嫉妬しているけど...。

『地下室の手記』がルソーを「ねずみ」と罵るのは「思想強い」「お気持ち」「ポエム」のような嘲笑そのもので、この主人公が人間にとっての自由をなにと心得るかといえば、「恣欲」だと言う。彼(ら)の嘲笑は、クレオパトラがただの暇つぶしで従者に針を指してみたように(こういう事実があるか知らないが『地下室』で引かれるエピソード)、たんに好きに暇つぶししたいというだけのことで、自分に主体がないのと同じように他者もおもちゃに過ぎない。
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