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吹いた

分かってない。誰も分かってない。
分散型だからこそ民主的でなければならないんだ。システムとして管理者が何でもできる仕組みではインスタンスは必ずユーザーを不幸にする。
逃げられるからそれで良いではない。逃げられるとわかっているから対等になれただけでそこからきちんとした仕組みを作らなきゃならないはずだ。

このスレッドは個人的にちょっと興味深いな。 https://web.archive.org/web/20180304035354/https://discourse.mstdn.jp/t/topic/166

このへんとか。自分が考えているのはアナーキズムなんだよな。自由にふるまうエージェントどうしがいかに秩序を構成するか(創発)が問題だとおもっていて、統制的な秩序によって自由が保証されるというのは近代の中央集権国家登場による観念だよねたぶん。アナーキズムの果たすべき役割はたぶん統制的な秩序の外で基本的な自由を確保することにある。

みんな、自由と無秩序を履き違えてる。
マストドンは自由だが、自由とはルールがあり、それによって保証されるものだ。
ルールのない自由はただの無法、アナーキズムだ。

自分のおもうところでは、国家のアナロジーで Fediverse を語ることに問題がある。たぶんこれは国家財政を家計のアナロジーで語ることとパラレルな関係にある気がするけど。Fediverse ははじめから国家のような統制組織がないところでデザインされているのだから民主主義的「国家」でも独裁的「国家」でもない。インターネットが誰のものでもないように、SNSのコミュニケーション空間も誰のものでもないようにするのが Fediverse の分散的なデザインだとおもうから、強いて言えば、最初からアナーキズムよりのスタンスがデザインに埋め込まれているのだという気はする。

網野善彦は、近代的な(というか近世的な)国家(中央集権的国家)の登場以前には「公界」という自治的な世界があったが(例えば寺社とか。戦国時代の堺も公界の代表例として挙げている)、これが国家権力によって駆逐されてきた、とおおむね考えていると言っていいとおもう。中世の自治領が壊滅したのは、結局横の繋りがなかったからだとおもう。暴力装置が巨大化していけば統制下におかれるだけなのだ(刀狩)。
インターネットやFediverseが実験しようとしているものは、近代国家という強固な統制的権力の外部を求めているように見える。そういう意味でやっぱりアナーキズムが一番近い。スジヤンさんそういう考えだった気がするけど。
https://pleroma.tenjuu.net/notice/AfHDOVxdEdkQXsapN2

近代で、統制的権力に対して抵抗しえた主体ってたぶんほぼ無くて、共産主義みたいな反権力闘争も強固な権力組織として展開したけど、統制的な権力にたいしていかにロバストな仕組みをつくるかというのが、インターネットの課題としてあるように感じられるというか。
さっきのスレッドでは、Fediverse を民主的か独裁的かという近代が生んだ国家モデルのアナロジーで把握しようとしていたけど、むしろ事情は逆で、インターネットの設計モデル(統制的な制御主体を欠いた分散システム)が未来の国家のモデルになるべきものではないかと。
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まあそんなの言ってると思想が強いって話なんだろうけど、実際 Fediverse がいいなとおもってしまうのは「思想が強い」以外にないかもしれない。

あ、自分が仮想通貨界隈というかブロックチェーン界隈に違和感あったのこれだわ。ブロックチェーン界隈なんかめちゃくちゃ「民主主義的」って言葉使ってた気がするけど、あれが民主主義的なのって意思決定モデルが独裁的ではないってだけの話で、そんなの管理者に都合いい社会が構築されるに決まってるじゃんって思ってた。あれようするに国家システムをモデルに意思決定の仕組みを設計しているわけで、インターネットってむしろ、意思決定なんてしなくても無秩序のなかから創発的に秩序が立ち上がるのが真にロバストなシステムだって考えでしょ。だからパタンランゲージとかに意味がある。ブロックチェーンが提供する意思決定って秩序が固定的すぎて嫌いなんだ、理解した。