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知覚はその時代のメディアによって組織されるという議論、敷衍すれば知覚を組織するにはメディアが必要だということになって、身体もまたメディアであり、つまり眼は取り外し可能なデバイスとおなじように機能するという議論になりそうなんだけど、どうなんだろう。身体に依存しない知覚主体と、知覚を生成する器官(身体=機械)とからなる心身二元論なのでは。

ベンヤミンは、「複製技術時代」で利用したこの観念が「技術の進歩」というイデオロギーとなんとなく結託してしまうから、歴史の天使という戯画を出してきたんだろうとおもうんだけど、そういう読みをしている人はいるのかな。
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