pleroma.tenjuu.net

やっぱり要素技術に還元されないアーキテクチャーというものがあるよな。
最近は版画史調べているけど、石版とか銅版とか木版とか、あるいは写真とかもこの歴史に含めていいけど、それらは要素的な技術に与えられた名であって、全体がどのように構造化・組織化されているかを何も語らない。
replies
1
announces
0
likes
1

美術史のアプローチだと、一般にはこの各技術の発達過程をジャンル史として処理してしまう。つまり、相互に差異を明瞭なものとして独自領域として確立していく様を描こうとしてしまう。だがこれは話があべこべで、現在の我々がジャンルという目線を通して歴史を見るからこそ、歴史がジャンル弁別の過程に見えてしまうだけのことである。

各部が連携しない諸要素のあつまりと見るべきではなく(ジャンルとはそういった見方だ)、技術的諸要素がどのように構造化され、全体のなかでのある位置を獲得したか、全体がいかに発達したかを考えるべきなのだけど、遠いなぁ...。

通時的・共時的みたいな話かもしれないけど。

ジャンルの弁別ってあちこちの美術史家が語りたがる、すごく一般的パターンなんだけど、なんだろうな。だれか単一の美術史家が源泉としてあるわけでもないとおもう。それくらいいろんなところに顔を出す発想だし、繰り返される。自分の思うところでは、これは美術史が構築するフィクションなんだけど、このフィクションそのものが制度化されていく(文展における出品区分とか、「日本画科」とか...)。

というか美術史と制度の発達が相互依存関係にあるだけのことで、美術史が制度研究を行ない、自らの拠って立つジャンルという足元を見直してみせたところで(自己の存在由来を説明してみせたところで)、何も謎が解明されていないという感触がある。