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「原本」という概念、たぶん明治初期ころから登場したんじゃないかとおもうんだけど、それがいまデジタル化でなくなろうとしているのであれば、この期間は「複製技術の時代」と呼べそう。

原本からの写しというのはようするに版画技術

明治期を通して「版画」概念の登場をざっと追ってみたけど、明治初期には銅版画とか石版画とかそういう具体的な技術名はあるけど「版画」という言葉はない(ちなみに「木版画」という言葉もでてくるのは明治20年代後半、それまでは色摺であれば錦絵とか呼ばれている)。「版」という抽象的な概念が受容されるのはおおむね明治10年代後半から20年代を通じてといってよくて、これはおそらく「出版」の概念が法整備されたことによるとおもわれる。明治30年代の後半にようやく「版画」という言葉がでてくる。銅版とか石版とか技術固有の語ではなく「版」をもった「画」があるという概念に組替えられた。
新しい技術が社会の概念を変化させるにはどういう過程が踏まれるのかというのはけっこう興味ある話で、この「版画」概念の成立過程はもっと検証してみたい。
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ちなみに「版画」という言葉自体は明治初期に print の訳語として採用されていて(「版畵」とかいて「ハンエ」と読む、明治10年ころの英和辞書にも見える)、つまり翻訳語だったんだけど、この時点では特殊な用語にすぎない。「ハンエ」が「ハンガ」に読みが変わっているのがやはり明治20年代後半だとおもわれ、それも法律用語の確立によるのではないかと考えられる。