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デザイン思考のようなほとんど詐欺といっていい物言いが20年も続いてしまったことのほうに興味がある
https://designing.jp/what-if-design-isnt-problem-solving

ノーマンの「誰のためのデザイン」の第二版にデザイン思考の章があり、英国デザイン協議会が2005年に人間中心設計とダブルダイヤモンドモデルを採用していて、これが「問題解決のデザイン」そのものだから、そこらへんが起点だとするとたしかに20年くらいなんだな。

この記事に的外れな批判をしている人みたけど、実際「デザインは問題解決だ」っていう図式はここ20年くらいで浸透しているはずで、それの起源に人間中心設計とダブルダイヤモンドがあるんだけど、それより前がわからないんだろうな。デザイン史的な思考の欠如というか、それ以前の言語が切断されている。

この記事で肯定的に言及されているジョナサン・アイブとかはもろにモダニズムデザインなわけで、そういう文脈差についての言及なのはすぐわかるんだけど、それが読めないのは、(それがポジショントークでないのなら)デザイン思考とモダニズムとの切断にあって、前者によって「デザイン」の概念が書き換えられた人たちが読むとそうなるんだろうな。
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あらためて読んでみても、読みまちがえる理由よくわからないな...。
ジョナサン・アイブがやった筐体デザインみたいな「象徴的な」仕事抜きにAppleは「デザインの力」を訴求できただろうか?デザイン思考からはそういう象徴的な仕事がでてこなかった、それはデザイン=問題解決という図式を作ってきたからだ。くらいしか言っていない。アイブの筐体デザインは問題解決ではなかったし、かつてデザインとされてきたものもそうだった、という主張にしか読めないんだけど。
これが共訳不可能性か...。

>ジョブズの有名な言葉で「アップルは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点にある」というものがある。ここ10年、デザインはテクノロジーにより過ぎて、リベラルアートの側面をおろそかにしているのではないだろうか。

とあるけど、おろそかにしているというか、まさに「デザイン」というジャンルの起源にあるアートを切り離す作業が、認知科学によるデザインについての議論だとおもう(ノーマンがこういう文脈でフランク・ロイド・ライトを馬鹿にしている)。
アートという出自に戻るのがいいかというと、ぜんぜんそうは思わない。ジョナサン・アイブもそうだけど、アートとかモダンデザインひきずっていると、いまだとどうやってもシミュレーショニズムになる。