自分は語の定義にめちゃくちゃこだわっているとかはなくて、「分散SNS」でイメージするものはじぶんにははっきりしたものがあるんだけど、どうも世のなかにはかなりミスリードな言論があるとおもう。人が集まるサーバーがでてくると「けっきょく中央集権的サービスじゃん」みたいなのとかがおもにそうなんだけど。でもそれはなにを「分散的」と言っているの?ってなる。
自分がおもうに、この「分散的」の語はたぶんGNUのような自由ソフトウェア系の考えと、W3Cのような(というかWWWのような)分散システムの考えとがどっちも入ってしまっていて、めちゃくちゃややこしいなとおもっている。
自分がおもうに、この「分散的」の語はたぶんGNUのような自由ソフトウェア系の考えと、W3Cのような(というかWWWのような)分散システムの考えとがどっちも入ってしまっていて、めちゃくちゃややこしいなとおもっている。
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「運営が気にいらなければ自分でやればいい」みたいな言論はけっこう危険だとおもうけど、これはこれでたぶんGNU系に起源があるとおもう。分散レポジトリがもつ分散性と、WWWがもつ分散性はぜんぜん違う。ActivityPubはW3Cが定義しているだけあって、WWW的な性格をもっていて、複数のコンピュータが会話してひとつの世界を形成する。で、後者は「分散型」でも通じるんだけど、分散型といったときにGNU系っぽい話なのかW3Cっぽい話なのかの切り分けが必要になってしまう。「連合型」とで呼んでおけばW3C系の話であることが自明になる。ActivityPubを喋る巨大サーバーがフォーク不可能な商用サーバーであってそのなかでユーザーを囲いこんでいても、連合に参加しているかぎりは連合SNSの一員でなんの問題もない。
「これは分散型だよね/ではないよね」とか「分散型の思想」みたいなマジックワードがでてきちゃうと「んん??」ってなるんで、それはなにを指して言ってるの?って明確になってほしい。自由ソフトウェアにたいするアナロジーとしての分散SNSという考えは理解できなくはないけど(気にいらなければフォークすればいい)、W3C系統の話はそっちではない。