税金払えない外国人は永住権取り消します、というのは役に立たないヤツは行政の裁量でポイします、ということであり。
「俺日本国籍だし関係ねえわー」と鼻ホジってる人は、こういう行政は生産性がないということで高齢者や障碍者も容赦なく切り捨てにかかるので、あなたが何らかの理由で収入がなくなった時点で補助が得られなくなる、という事に直結するのだ、ということに気付いたほうがいいです。
ニーメラーの警句です。
まあ無視すんだろうけどな。
俺は言っといたからな。
伊藤忠、イスラエル軍事企業とのMOU終了:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2024020500623&g=eco @jijicomより
福山氏の「幅広く支持を得たい」という意向もこういう対立を背景にしてのことですよね。政党政治における主張のもろもろが、分断の裂け目として機能する。その裂け目に手をつっこんで分断を促し第三勢力をつよめてきたのが維新のやりくちだとおもう。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/105822.html
共産党にも異変が起きていた。 前回・4年前の市長選で推薦した福山和人が、2回目の挑戦を表明したものの、今回は推薦を見送ることになった。
京都市長選での推薦見送りは20年ぶりのことだ。 「幅広く支持を得たい」とする福山の意向を尊重して「支援」にとどめた。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2007-01-04/2007010426_01_0.html
https://cdp-japan.jp/tag/%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F
京都市長選で立民の動きをおおざっぱに反共と言っている人多いけど、筋違いだとおもう
僕らが接する「反共のアメリカ」っていうのも、情報工作というか、アメリカの支配層が演出して海外に見せている姿なんだろうなあ、と思う。
アメリカの大学の話なんかを見ていると、少なくとも70年代くらいまでは、半分以上は社会主義のひとだったっぽいもん。
『「音」と「声」の社会史』を出す人の論文がここから読めるぞ。おもしろそう
限定された空間とメディアの社会史研究に向けて
─ 刑務所と「新聞」「ラジオ」はどのような関係を結んできたのか─ 坂田謙司
"地域メディアの定義としては,もはや古典とも言える竹内郁郎,田村紀雄の『新版地域メディア』の冒頭に書かれた「一定の地域社会をカバレッジするコミュニケーション・メディア」が全てを語っているように,さまざまな社会的な意味をもつ範域そのものが「一定の」に続くのである1) さらに「一定の」を分解していくと,そこにはなんらかの「限定性」が通底している。つまり,範域は社会の中で自在に変化し得ると同時に,それは「限定された(閉じた)」範域ともなるのである。とは言え,交通網が発達し,多様なコミュニケーション・メディアが登場し,1人の人間が所属する社会的な範域は同時に複数存在する。
(中略)
本論で試みるのは,「限定した(閉じた)」範域を対象としたメディアの社会史研究に向けた新たな展開である。それは,これまでの「地域」という考えではなく,「空間」という捉え方である。この空間をどのように捉えるのかは,先行研究によってさまざまなであるが,ここでは地理的な範域ではなく,日常の生活社会におけるつながりを前提としつつ,メディアで結ばれた限定的空間,あるいは社会的なシステムによって閉ざされた空間と考える。"
投票率低い。選挙とか投票って権利だし、民主主義という制度の根幹をなすもののハズ。大切なもんなんだから行使して欲しいし、四割の人間が放棄するもんなら門戸広げても良いんじゃん?という思いを強くしました。
https://twitter.com/fukuyoken3daime/status/1454914338175668229
投票出来ない私は引き摺られて行くしかない。どうせ引き摺られて行くならそれが地獄でも天国でもより多くの人間によって踏みしめられた道を引き摺られたい。5-6割程度じゃもの足りない。
https://twitter.com/fukuyoken3daime/status/1454916357070340103
障壁があってそこに辿り着けない人がいる事は分かっているし、権利行使に際して障壁があるなら取り払うべきだとも思うが、投票くらい行けとしか言えない。
https://twitter.com/fukuyoken3daime/status/1454923622720552961
ここの事はここの人間である私達が決めます。あんたらはそこに入ってないし入れてやんない。って言われて、結果四割行かないんだぜ。「興味ない」「参加したくない」「参加するのが怖い」「時間ない」「わかんない」みたいな事言って。ナメんなとしか言いようがない。
https://twitter.com/fukuyoken3daime/status/1454925486291783685
結果について色々論評が流れて来るけど、一番重要なのは、いや重大なのは、いやいや深刻なのは、いやいやいや腹立たしいのは、四割行かないって事。
https://twitter.com/fukuyoken3daime/status/1454982392750358529
四割が大したもんじゃないって言ってるようなもんをそんなもん求めるのはおこがましいと言われてるんだぜ。
https://twitter.com/fukuyoken3daime/status/1454990953723297792
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ずーーーーーーーーーーーーーーーーっと、これ。こんな呟きばっか。
ストラヴィンスキーの『春の祭典』は「春」とあるけど、最初は夏の構想だったらしい。これは、古代スラヴで太陽神を中心とする宗教において、生贄の儀式を伴う祭りは真夏に行われるものだったことに由来する。
画像にあるような衣装と輪舞はその伝統を受け継いでいるものの一つ。
一つ思ったのは、映画の『ミッドサマー』ってこのコンセプトと関連あったりするのかな…
あれは舞台がスウェーデンだけど、古代スラヴの発祥と言われるウクライナ・ベラルーシ・リトアニアとも (バルト海で隔たりはあるけど) 近いといえば近いような。衣装も似ている。観たいけど…観たくない…
画像参照元: https://discover.in.ua/traditions/ukrayinski-obrjadovi-tanci.html
#クラシック
http://www.hakubunkan.co.jp/index.html