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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

「凡夫がつくりだす無意識の美」というものを味わう特権的な立ち位置に柳がたっているのが、うわぁ…となるところ。

柳宋悦の『工藝の道』はパタンランゲージと発想があきらかに同じなんだけど、やっぱり読んでるとうわぁ…ってなることがしばしばある。

@toneji 皇国思想がたいへん強くて、また領土意識には現在のロシアやイスラエルをおもわせるものがあり(政府は当然わざとやっているのですが)、教科書は怖いですね。

覚え書き更新 エベレスト街道トレッキングを終えての雑感 https://kidachi.kazuhi.to/blog/archives/042267.html

神功皇后が三韓征伐をしたとか国内の熊襲だの蝦夷だのを降伏させ国内統一をしたとか語り、それから国内の領土で米は九州がいいとかなんとか。教科書をつうじて「国」というものの統一的イメージを形成する。国土とは国土の認知の問題だからイデオロギーごと教科書に組み込んでしまう。

「すべて山中に樹木多けれバ雨亦多く、樹木なければ雨亦少し。故に林ハ雨の製造場とも云ふべし。」
因果が逆である。

明治29年の尋常科用小学読本を読んでいるけど、いろいろすごい。侵略のためのイデオロギーはこのように埋めこまれていくのか。

大正14年に若くして没した女性作家の書いた短編小説を読んだ。それはその作家が若い頃に、ある未亡人と同居していたときの思い出をもとに書かれたもので、まったく知られていない作家だけどよい小説だった。

その本は、その人の没後に遺された夫が編み出版したもので、妻の死後1年くらいで出版している。娘が一人あり、まだ母を母と認知もできないくらいのまま亡くなったものらしい。編集に際しての夫の書くには、娘がいつか母のありし頃を思うために本にしたようだった。
彼も娘もとうの昔に亡くなっているだろう(娘は生きているとすれば100歳くらいになっているはず)。その後のかれらの行方は、文献からはまったくわからない。

これ改めてやっぱり腹が立つな。性役割の分業について言いたいのはわかるけど、嫁入り道具としての絵の修業がまるで悪いかのような扱いにも問題がある。このインタビュアーも吉良氏も「展覧会芸術としての絵画」というものを「画家としての活躍」だと見做しているわけで、絵画の生活技術的側面も捨象するし、口絵や挿絵などの職業的画家(イラストレーター)も「プロとしての活躍」に入っていない。

ごめんなさい喜ばせてください! 紀伊国屋さんの「じんぶん大賞2024」にて、私たちの『トランスジェンダー入門』が3位に入りました✨ めっちゃすごいです。
今年は死ぬほど忙しかったし辛いことばかりだったので、最後の最後にちょっとだけ労いの機会をいただいた気持ちです。
出版の渦中にいたので、自分たちの書籍のことを客観視できていませんでしたが、こうして賞をいただいて、この本が世の中の多くの方に読まれ、また評価していただいたことを改めて噛みしめています。
本書を手に取ってくださった方、どうもありがとうございました!
まだの方は来年ぜひ、気が向いたら手に取っていただければと思います。
集英社さんにも、感謝です。
https://store.kinokuniya.co.jp/event/1702604157/

「国立国会図書館オンライン」及び「国立国会図書館サーチ」の統合・リニューアル║国立国会図書館―National Diet Library
https://www.ndl.go.jp/jp/use/2024renewal/index.html

上記の件は、たとえば吉良智子さんのこういう記事です。 https://artnewsjapan.com/article/1495

このインタビューのなかでも

「そうした体系的な美術教育があったにもかかわらず、女性アーティストが活躍できなかったのはなぜなのでしょうか?」

という質問に対して

「女子に美術を積極的に教えようという議論はあったものの、その目的が「嫁入り道具」だったからですね。」

と答えてしまっている。それで、活躍した女性画家は「例外的」だとしている。

自分が知っているだけでも、明治の中期ころから上村松園がいて、それから明治後期に池田蕉園、島成園がでて、彼女らは「三園」と呼ばれてけっこうメディアにもでていたし院展などにもでていた。それ以外にも、市川秀方とか歌川若菜とかいる。 「活躍できなかったのはなぜなのでしょうか」という問いの立て方がまちがっているのに、それを否定もせずに理由付けして肯定してしまうのは、図式的な見方で見ているだけで、個人的にはけっこう許しがたい。

歌川若菜などはこの記事で知ったけど、もともと歌川派の家系であり、どこからどうみても花嫁修業ではない。 http://artistian.net/wakana_utagawa/

展覧会記録にも彼女らの記録はあるし、「女性画家の存在自体が想定外」だったわけでもなんでもない。

こんな思い込みで話すと、図式から外れたものを黙殺することになり、まさに「ジェンダー美術史」というものこそが「見落とされた芸術家」を作りだしてしまう当事者になっている。その史観こそが当時の女性芸術家たちの主体性を隠蔽しているんじゃないか。

こっちもみてる

https://togetter.com/li/2275604

「国家ぐるみの隠ぺい」浮かぶ 朝鮮人虐殺裏付ける政府の新文書
https://mainichi.jp/articles/20231213/k00/00m/010/172000c

なんというか、(マジョリティ側の)わたしもそうなんだけど、マイノリティの方が直面する問題の切実さと、マイノリティの方の問題が問題にならないマジョリティであるがゆえの無関心さとが、絶望的に噛み合わない的な。
こういうのなんか名前がないですかね。

アクセシビリティオーバーレイってなんなのか
https://qiita.com/mu_tomoya/items/8bd2696c1ce79db53b3c

> 「アクセシビリティを勧めてくる人ってみんな威圧的なんだよね」
キレざるをえない事象がそこかしこにあるんだなあ…

しかしこうなると、Xの5ちゃんねる的タコツボ化が更に絶望的に進行しそう

スレッズのアカウント、やべーのいっぱいいるというか、やべーのばかりレコメンドされる。

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