画家(イラストレーター)だけはたぶん別で、当初からプロの作品がメインで、掲載される口絵を誰が描くかは売れ行きに直結していたらしい。
息子がコロコロコミックの投稿欄に採用されてニッコニコ。にまにま笑いながら何回もそのページを見直している。
嬉しいよねえ!
私も初めて雑誌の投稿欄に載ったときは嬉しかった。メカニックマガジンの読者投稿イラスト欄だったんだよね。
https://lab.ndl.go.jp/ngramviewer/?keyword=%E7%BE%8E%E8%A1%93%2F%E8%8A%B8%E8%A1%93&size=100&from=0&materialtype=full
http://www.bijutsushi.jp/c-kouen-kyousan.htm#2023-9-23-niichifutsu
https://togetter.com/li/2205644
ブルーノ・タウトの『ニッポン』(昭和16年に翻訳が出ている)で以下のようなことを言ってて、ナショナリズムの及ぶ範囲って厄介だなというか、戦前のドイツ人にとっても天皇は日本にとっての国民統合として了解されていたということと、この国民統合から排除されているもろもろがある
「天皇––将軍という日本の大きなアンティテーゼはまた同時に神道––仏教の反立でもある。我々にとっては日本の複雑精緻を極めた、真に厳粛なる宗教的情意を理解することは、容易では無い。然し、神道が独特な形で日本人をその国土と結び付けているという一事だけは頗る明瞭のやうに思われる。神道の起源は二千五百年の昔に遡り、神道自体がそのために日本と完全に癒合してしまっているので、そこに問題となるものは、仏教の場合とは反対に、本来日本的なるものである。しかもそれは、神道に於ける国民的なるものは既に寧ろ地理的なるもの、島国日本に独自なるものであるという意味に於てである。即ち神道は日本人をその美しい国土と結び付けているばかりでなく、各個人を社会的意味に於けるこの国土の一部分として互いに結合させているのである。」
昔から「炎上」という言葉が嫌いで、まるで「勝手に燃えた」かのようなこの言葉は、「燃えた」理由がその発信者に存在しうるという(多くの場合には該当する)事実を覆い隠すような響きを持っているから。でもトランスヘイトがオンライン上のフェミ系サークルにおいて日常化するようになってから、それとは別の意味で「炎上」という言葉が適切さを欠くと考えるようになった。歌舞伎町タワーの「ジェンダーレストイレ」にせよ、幡ヶ谷の公園の異性介助が可能なジェンダー不問トイレにせよ、明らかな政治的意図をもって、それも明確に差別的な信念や動機に基づいて初っ端「燃やしている」人間がいる。いま、ジェンダーにまつわるトピックの「炎上」は、「燃えている理由」と「燃やしている理由」の双方向から注意して見ないと簡単にトランスヘイトの燃料にされる。「フェミが燃やしている」という、ネット上の反フェミ界隈の定型句のせいで話が面倒になっているけれど、トランスヘイターでもあるフェミニストたちが引き起こしている「炎上」に関しては「燃えている」側に非があるのではなく「燃やしている」連中の認識や目的に問題があり差別性が存在する。安易に乗ってはだめ。
世の中から性差別(セクシズム・制度化されたミソジニー)をなくしていくとか、そのための現状認識を共有するとか、そういうことのための道具としてSNSはとても役に立つのに、Twitterの仕様とアルゴリズムは、「セクシスト」や
「ミソジニスト」である個々人を見つけ出して批判的な引用RTを拡散させるという行動を促してきたわけで、そうして濁流のように引き起こされる「怒りのエコノミー(炎上)」に参加することが性差別をなくすことと等価になってしまってそこから抜けられなくなっている人が優先的に残って暴れる場所にTwitterはなってしまった。人間社会の在りようを「オス」とか「メス」とかの概念分類でしか理解できなくなるような人たちが、昂ぶったその怒りを他のマイノリティへの迫害や暴力に転化させていくのも当然と言えば当然だし、わたしにはもはや目的がどこにあるのかすら理解しがたい。