Fediverseはいわば《プロトコルを共有する人々が交流する空間》だけど、実際は多くの人々が既にSMTPやHTTPといった《プロトコルを共有する人々》になっているにもかかわらず、この《プロトコルを共有する人々》の集まりというのは《プラットフォームを共有する人々の集まり》よりもどうしてもダイナミックで捉えにくく、実感が難しいものになってしまうと思う。
なんと云うか、それなりに実績のあるマストドンやミスキーではなく、どうなるか良くわかってないblueskyや殆どどうなるかがわかってないthreadsが「大本命」って持ち上げられるの、良くわからないんだけど、もしかすると
「我々は大資本と結びついた巨大で安定したSNSサーバが欲しいのであって、fediverseが欲しいのではない」
って事なのかなと考えている。
少なくともThreadsに期待する理屈はそうなのではないか?
「アイデンティティをコミュニティに所有される」という構造こそ、初心者を悩ませる諸々の使いづらさの根源だと思う。
「テーマに反したことを (心理的に/雰囲気的に) 発言しづらい」とか「複数のコミュニティに属するなら複数のアカウントを持たねば」とか「最初にどこのサーバにアカウントを作ればいいかわからない」とか、そういうの全部この逆転したモデルのせいでは? #distsns
このことを考えていると safe Rust を書いているときと似たような脳の部分を使っている感覚があって、「境界のあるコミュニティは誰が “所有” しているのか」というのは結構重大な未解決問題な気がする。
本来ちゃんと考えてそれなりのモデルを作らないといけないと思うんだけど、現状の “テーマ鯖” ソリューションは「コミュニティがアカウント (≒アイデンティティ) を所有する」という明らかに直観に反するモデルを使っている。
アイデンティティとアカウントが綺麗に分離できていればそれでもいいのだが、少なくとも DIDs 以前の ActivityPub は基本的にそのようになっていない
Threads がAP対応するなら、多少理解が広まるかもしれない。
どーすりゃよかったんでしょうね。どうせ鯖が LTL を未実装であっても外部サービスが力技でクロールして疑似 LTL みたいなの作りたがった可能性は高いから、それを考えると原理的に可能であるものを API として提供してしまうのも自衛として考えられなくもない
http://www.human-factors.seesaa.net/article/579561.html
と、ふわふわ考えているうちに、もしかしたらcomputer scienceはhuman-computer interactionに偏りすぎていて、world-computer interactionについてもっと考えたほうが良いのかもしれないと思った。具体的には何をするのかさっぱりわからんけど。
自分が使う技術を選択するのは自分ではなくて自分をとりまく世界だというのは、まあそうなんだろうと思う。インフラなのかどうかはわからないけど、自分とパソコンの間の関係より、パソコンと世界の関係のほうが、本質的に力が強いと思う。パソコンという一般名詞だけでなく、自分の目の前にある個体のパソコンについても、自分との関係より世界との関係のほうが強いと思う。