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tenjuu99(天重誠二) | @tenjuu99@pleroma.tenjuu.net

読書、プログラミング、登山、ランニング、美術など
いろいろ雑につぶやいていますが、最近は浮世絵について調べています

[Tw] Pull-Reqに経緯が書かれてるからコメントはあまりしなくていいよ、という立場がある。自分はそれに反対の立場を取る。すなわち、ソースコードがsingle source of truthであるべきだと思っている。というのも、GitHubの永続性に依存したくないし、Gitのログには"Merged #1"しか書かれないからである。
[de] https://twitter.com/windymelt/status/1673570481335840769

@pokarim 自分も実態がよくわかっていないのですが、取次ビジネスが危機的なので取次がわとしてはやらざるを得ない状況だが、基本的には不要な存在には見えます。電子取次が出てきたことで、取次ビジネスの再定義をしようとしているように見えるのですが、従来の取次に比べると付加価値を生み出す基盤は脆弱だと感じます。

〈それから2年。香港人は政治を話題にしなくなった。白さんは「もう政治のニュースは見ない。自分の意見を他人に言うことはないし、何かを考えることもない」と話す。当局は国安法を恣意しい的に使い、誰をいつ逮捕するかわからない。違反者を密告するホットラインも設置された。警察当局によると、これまでに40万件以上の通報があった〉

「もう政治のニュースは見ない」 廃刊に追い込まれた香港「リンゴ日報」元記者は2年前を思うと胸がつまる:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/258777

前職は3ヶ月ぐらい無労働でも賃金が発生していました...

RE:
https://pleroma.tenjuu.net/objects/e70f643e-bba2-44f9-a1bf-0c9223eb6667

裁量労働、裁量がありすぎて無労働でも賃金が発生するようになってほしい。

@pokarim 電子取次という業態じたいは今もありますね
https://www.jepa.or.jp/ebookpedia/201511_2714/

ねむい

マイナンバーと保険証の一体化の話、医療機関側として言わせてもらうと、

①読み取り機とそれに繋がるWindows IoT のPCが不具合起こしたらまるっきり使えない
②NTTなどの通信事業者が回線の不具合起こしたらまるっきり使えない
③保険証の資格確認用サーバが落ちたらまるっきり使えない

という「医療機関」「通信事業者」「保険組合の資格確認用サーバ」のどれに問題が起きてもまるっきり使えないという現状を、紙の保険証無くす時にどう乗り切るかを全く回答していないので、お話にならないんだよな。

国は「10割負担で徴収してください」って軽く言うけど、その責任の所在はどうすんの???

そのうちNTTに対して集団訴訟とかし始めるやつ出てくるよ???

杉本俊太氏は「様式」から「造形」に問題が変化したと論じるけど、そうではない。様式という問題はあきらかに残存していて、デザイン言語とかの領域で具体的な実践になっている。
様式の担い手が国家とか民族とかだと思われていたが、「ゲルマン的本性」みたいな話になると、それはもうデザインの問題ではない。デザインとは構築されたものなのだから、ゲルマン的本性がデザインされてしまうとそれは人工物だということになる(人工物だが)。
「様式」というものが、徹頭徹尾人工物なのだという了解がなければ、それはデザインの対象にならない。コーポレートアイデンティティとかは人工物と見なされても誰も悩まなかったが(企業の人口性なんて誰でもわかるし)、国家が人工物だってバレてしまうと国家は困ってしまう。「民族」も同じように人工物のくせに人工物ではないと振る舞わなければならない概念だ。

こういう暴論を掘り下げてみたい気持ちはある

20c初頭に、ドイツでデザインの議論が発達するのは、第一次大戦前夜にドイツが植民地を拡大して販路開拓しようとしていたからだけど、そこで「ドイツ的な様式」が求められていた。ドイツというのは一個の企業のようなものとして了解されていたわけだ。それにたいする反発こそがバウハウスだったとおもうが。

いやこの古びた概念を復活させたいなんてことではないんだけども、むしろ、現在の企業がやっていることから省みると、19世紀末から20世紀初頭にかけて様式論が発達するのは、そのとき「様式」概念で捉えようとしていたのが国家の様式とか民族の様式とかだったわけで、当時は国家や民族とは、(ある意味では現代の企業のように)ブランディングしていくべきものと捉えられていたわけだ。

美術における様式という概念、すっかり古びて不要になったものとおもっていたけど、さまざまな文化事象における style の統一こそが様式という概念の意味するところだったわけで、これ現代では各企業がブランドデザインの名においてやろうとしていることそのものだな。

(ゴシックとかバロックとか、そいういうのは建築やら彫刻やら文学やらの各表現媒体を横断して表明される特徴的な様式 style があるとされる)

情報の電子化にしても、そっちのほうが手軽だからとか慣れているからっていうことではなくて、流通のコストがかからないっていうのがデカい

取次というビジネスは実質的には流通コストの圧縮によって成り立っているとおもうのだけど、そのインフラがアマゾンなどの事業者によって代替可能になってしまっている。

取次って今後どうなるんだろうな...

野見山暁治さん、102歳か

https://business.safety.google/adsprocessorterms/
Google 広告データ処理規約 (Google Ads Data Processing Terms)

これ、GDPRの概念と適用の勉強になるな。

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