文化盗用の話。
資本主義的な過程のなかで、モノの文脈が抜けおちていくこと自体に違和感があるってことなんだろうなーとおもいながら聞いている。
https://www.youtube.com/watch?v=vBpevpJNlDE
資本主義的な過程のなかで、モノの文脈が抜けおちていくこと自体に違和感があるってことなんだろうなーとおもいながら聞いている。
https://www.youtube.com/watch?v=vBpevpJNlDE
排除アートは、ホームレスの住処やスケートボーダーの遊び場を奪うという意味だけで問題なのではなく、ふつうの人がモノを誤用しなくなるような認知体制を作りだす、そういうデザインのトレンドだという点でかなりの問題がある。つまり、モノにはなにかの意図があり決まった用途があると認知するようになる。
道路は「移動するための場所」だから、地べたに座り込むのは誤用だ、という認知を生みだすこと。そのように、誤用を無くすようにデザインされていくこと。
道路は「移動するための場所」だから、地べたに座り込むのは誤用だ、という認知を生みだすこと。そのように、誤用を無くすようにデザインされていくこと。
排除アートをSM用具に誤用する、とかは、この手の話とかなり繋がっているとおもっている。
https://pleroma.tenjuu.net/notice/AWdl9Pz4RvD52nrDSS
デザイナーが込めた意図とは無関係に、モノは開かれた存在だけど、排除アートが排除しようとするものは、「デザインの意図」の外部そのもの。排除アートというのは進めていくと、意図に満ちた空間ができあがるはずだとおもう。
https://pleroma.tenjuu.net/notice/AWdl9Pz4RvD52nrDSS
デザイナーが込めた意図とは無関係に、モノは開かれた存在だけど、排除アートが排除しようとするものは、「デザインの意図」の外部そのもの。排除アートというのは進めていくと、意図に満ちた空間ができあがるはずだとおもう。
敵対的建築(英語圏での「排除アート」の呼び名)にぴったりフィットする衣服 sarah ross defies hostile + inaccessible architecture with 'archisuits' https://www.designboom.com/art/sarah-ross-archisuits-project-los-angeles-11-03-2022/
モダニズムという強固な物語もありつつ(モダニズム期に形成されたカテゴリーは実際に学部とかに反映されるから、語り自体がけっこう具体的な力をもつのだけどそれはともかく)、他方に「一般デザイン学」みたいな観念を提示しようとする方向もあり、これは個別研究という方向ではなく体系化に向かうもので、モダニズムに近いという印象がある。歴史的現象としてのモダニズムというより、モダニズム(バウハウス)が抱えていた体系化への意志というか。
バウハウスのような、デザインのモダニズムという大きな枠組みがあり、その陰画としてのポストモダンデザイン、という一時期支配的な語りがあったけど、その枠組みだと、たとえばソフトウェアデザインとかはどうやっても入ってこない。
さいきんはデザイン史を調べていて、まさに "design history" か "design studies" かという論争が(一部に)あり、デザイン史と現代のデザイン実践の乖離みたいなものがかなり意識されていた。
「ポピュラー音楽研究」とひろく音楽ライターやジャーナリスト的な知の分断が思っている以上に激しいのはどうにかならんかねと思う一方で、いざ火中の栗を拾ってみると、なんかもう双方勝手にしといてくれ、おれはおれのやりたいことをやるわ……という投げやりな気持ちにもしばしばなる。
なに、どうということはない。1,250億円を大阪維新の会がポンと寄付すればいいのである。