https://twitter.com/TaiseiMiyahara/status/1665673235583717378
鳥で、「研究費で論文を書籍化するのはクソだ」って言ってる心理学者と、「ハァ? 研究成果を書籍化するのは当然だろゴラァ!」って言ってる社会学者(歴史学者)とが喧嘩してて草。
もし心理学専攻の人がいたら教えて欲しいんだけど、「科研費の成果を書籍化するのはゴミだ。オープンアクセスかWeb公開しろ!」って価値観は、心理学では一般的なんだろうか?
ジェンダーで、よく多様な性としてグラデーションと語られることがある。一方で、いわゆるかつて「両性具有」と言われたようなDSD(性分化障害)の団体としては、それを体の性に持ってくることには反対しているのか。
【緊急声明】「体の性のスペクトラムモデル」は人権侵害です。 https://shoutout.wix.com/so/92NayyNyE?languageTag=ja&status=Draft&cid=00000000-0000-0000-0000-000000000000#/main
「大住宅ではないが、デザインにおいて存在理由と近世がすばらしく保持されており、理に適ったすべての要求に合わせて取り決められ、しかも至る所に豊かな空間の印象を残している」
ウィリアム・モリスのレッドハウス、彼の友人に言わせると大住宅ではない。大住宅とは。 https://www.nationaltrust.org.uk/visit/london/red-house
モダンデザインの展開(ニコラス・ペヴスナー)
自然の表面的外観の模倣と対立する自然の精神、およびさらにずっと広い意味での自然、すなわち人間の独立性と対立する宇宙の力としての自然、これが1890年頃のヨーロッパ絵画における新運動のモットーの一つであった。それは、ゴーガンやゴッホの場合のように、本能と自己抛棄に還ることを意味してもよく、あるいはセザンヌのように幾何学的基本形に還ることでもよい。それはやがて、表現主義になって行くか、あるいはまた立体主義になって行くかも知れない。
20世紀初頭のアヴァンギャルドは、ここでいう「自然」から離れることになるけど(それが表現主義であれ、立体主義であれ)、セザンヌにいわせると「絵画とは自然と並行するもうひとつの調和」だけど、自然から離れてしまって絵画だけで一本立ちしてしまえば、調和の原理を探しようもなく壊れていくもんだとおもう。マティスはそれでも絵画の調和を探そうとしたが、彼の絵からみんな強烈な不調和を嗅ぎとっていた。それはともかく、20世紀のヨーロッパ芸術・文化の特徴は「自然」からの決定的な離脱とみなしても、やっぱりよさそうな気はする。メルロ=ポンティの「眼と精神」もそんな感じだったし。
装飾と犯罪
だがベートーヴェンの第九交響曲を聴きにコンサートに出かけ、帰宅した後、仕事机に向かって壁紙の図柄のデザインに取りかかるような男は、詐欺師か変質者のどちらかである。
アドルフ・ロースの装飾と犯罪、おおむねひどいテキストだけど、ここ笑ってしまう