学生時代はセラピー的なもの、エンカウンターグループとか、内観療法とか、フォーカシングだったり、ブレスワークみたいな激しいやつまで、行けるものは色々行ってためした。
結果、実感したのはアプローチの違いもあるだろうけれど、変化や回復の度合いの大きさと比例したのは、期間の長さだった。単純に、一泊二日より、三泊四日のものがいいし、五泊六日のほうが変わった。
四国遍路にかけたのは40日だったが、7日目ぐらいで経験のされ方が変わってくる。変化をおこしていくためにはある程度のまとまった時間が必要だというのは、先に投稿した、村人たちの民主主義と重なる。
今の社会環境では、ほとんどの人は一度にとれる休みはそんなに多くないだろう、細かく休日を与えられても、変化に足りず、変われない。構造的に人が変われなくされていると思う。
グダグダ、グダグダ、全員一致するまで話を続ける。
「三人集まれば〜」的な、大勢でより優れた結論に達するための話し合いでもあるが、そこでより重要視されていたのは村人たちの身体性に残っているものの吐き出しと、身体性の共有だったのではと思った。
そしてそういう何日にも続くグダグダの話し合いをそもそもできなくする労働形態に移行されることによって、柳田国男のとらえたような「民主主義」は成り立たなくされ、葬られたのかと思った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/原稿用紙
>原稿用紙の使用が一般的になったのは、明治時代中期に入ってからのことで、現在の原稿用紙の形状に近いものとしては、内田魯庵のつくった19字×10行の190字詰用紙が最も早い時期に属するものであると伝えられる。これは板木に変わって活版印刷が一般的になる中で、新聞・雑誌などに原稿を掲載する際、字数が正確に計量できることが最重要視されたことと関係する。
>原稿用紙の使用が一般的になったのは、明治時代中期に入ってからのことで、現在の原稿用紙の形状に近いものとしては、内田魯庵のつくった19字×10行の190字詰用紙が最も早い時期に属するものであると伝えられる。これは板木に変わって活版印刷が一般的になる中で、新聞・雑誌などに原稿を掲載する際、字数が正確に計量できることが最重要視されたことと関係する。
日本語の活字にカーニングってないよなとおもってWikipedia見てたら、カーニングってそもそもそういうふうにやっていたのか...!!
https://ja.wikipedia.org/wiki/カーニング

「(ワープロは)日本語の洗練という点では、あきらかにマイナスであった」(p.224) 「日本語の文章における漢字はこの一世紀のあいだ、先人たちのひじょうな努力によって、ようやく現状のところまでへらすことに成功してきたのである。ワープロ技術者たちは、この先人たちの血のにじむような努力に経緯と考慮をはらったのであろうか。そういう歴史があることさえ、しらなかったのではないか。」(p.224)
梅棹さん、カナモジタイプライターで文章書いていたらしく、漢字タイプライターは絶望的だったわけで(存在したけど)、言語のほうを技術的制約と合った形に変えたほうがいいと考えていたが、日本語変換ワードプロセッサが開発されてめちゃくちゃがっかりした。
https://shiki.esrille.com/2017/04/blog-post.html
https://shiki.esrille.com/2017/04/blog-post.html
@on1000mark 勉強になりました、あの動画めっちゃいいすね
サバ缶を叩いて音で不良品の判別する打検士のはなし、おもしろい。
https://note.com/ngo750750750/n/n3bd4620c19e9
https://note.com/ngo750750750/n/n3bd4620c19e9
さきほどnoteに音楽ブログを書いたよ!マストドンのみんなー!!!
聞くために鳴らす|温泉マーク-Auto-Tune VTuber- https://note.com/ngo750750750/n/n3bd4620c19e9