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中村一美「透過する光」、これはなかなか読みがいのあるテキストだな

中村一美の絵を見たのはたぶん10年くらい前の展示なんだけど、見たことのないような絵で、不快な衝撃力をもっていた。おもいおこしてみると、さまざまな物語に回収可能なあれこれの美術作品に対して、そういう物語に回収されることを拒絶するような強さが頭に残っていて、それがずっとひっかかっていた。

作家自身がこのようなことを言っていて、ああ、やっぱりそうかとなった。

このような時、《破房》は次期の《破庵》よりいっそう空間的な激動と変異が強調されているかに見える。それらは、当初人々の眼に不快感や拒絶感をもたらした…。絵画特有の優雅さもなく精神的な昂揚もなく…。ただそこには、崩壊する建築のイメージ、壊乱する構造物のねじれた不統一な空間があっただけだろう。

そして、もうひとつそこには、ある種の既存の絵画的クオリティーへの反抗もあったろう。このような混乱の時代、このような不安定なシステムの増大する時代に、既存の絵画的クオリティーは廃棄されるべきであると。

こうして私は、人々がある意味で眉をひそめるような反クオリティーの絵画を実験的に制作した。これらの絵画は、まだその当初の不快感を保っているのかも知れず、あるいは、あれから六〜七年を経て、人々の認知の対象へと進展して来ているのか、私には良く理解できない。

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