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「日本による外国の支配」という単純な事実を忘れるから、「フランスによる外国の支配」というものが歴史を見るパースペクティブから外れる。それで、帝国主義と芸術といえば、国内芸術家が、国家による支配・強制を受けていたという謎のパースペクティブが生産される。これは一時期のアヴァンギャルドとアナーキズムの近さだけから歴史を遡って照射する欺瞞に過ぎないが、まさにこの国家対個人の支配関係しか見えないのが、日本の戦争にたいする被害者意識に由来するものだろう。それで、自身は対象としての芸術家を理解しているつもりになっているから、対象を構成する自身のパースペクティブは不可視になる。
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きのう、某氏の話を聞いて思ったけど、じつのところ現在の日本のパースペクティブはナショナリズムかグローバリズムのどちらかでしかなくなっている。後者について本人はアナーキズムだと感じているだろうが実際にはグローバリズムで、グローバリズムもナショナリズムもともに歴史理解を歪める。