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そもそも近代の資本主義みたいに大資本が労働需要を生み出すようなことが江戸期にはなかったがゆえに、貧困層としては公認であろうと非公認であろうと売春せざるを得なかったのでは?(売るものがほかにないので)という疑問が、性差別云々の文脈以前にあるのだけど、あまりそういうことを言うひとも見かけなかったな。

巨大産業とかがあれば雇用が生まれるが、それが当時たいしてあったわけでもないし、持たざる者は売春するだろうし(罪と罰のソーニャとか)、管理売春として政府が制度化したのは性差別的な文脈とはおもわない(自然発生してしまうので管理するほうがマシ)。現代と条件が違いすぎて当時の「買う側」の批判しても仕方ないように思う。性の商品化を生みだしているのは貧困で、「買う側」の「男性性」なるものがどれだけ問題化されるべきなのかちょっとわからない。
それこそ、吉原みたいに文化が発達した世界での「性の商品化」は、貧困という文脈とは違った意味で現代的なものがあるようにおもう。高級な花魁が身体を売っていたわけではなく、まさに文化を売り物にしていたように思うのだけど、それはやはり現代の芸能界と近いようにおもう。
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