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アートは希少性に価格がつくみたいなことたまに言われるけど、たぶんそんなことなくて、市場で価格が安定するには一定量出している必要がある。このとき作家の方も「商品」的な価値は意識しているはず(誰が買うかわからない状態)。本当に少数の場合、市場に出てこないから価格がつかない。

ここで(あまり市場価格が安定していない状態で)買うのが、友人関係とかのごく狭いサークルだったりする。友人の作品というのは、市場に放出することがほぼないから、実は価格がついていないのと同じだったりする。
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ゴッホとゴーギャンが同棲をしていたときに作品を交換していたけど、あれはふたりとも売れていなかったから価格はついていないのと同じ。これも同人的な交換形態の例であるように思う。

適切に市場に見えつつ、希少性が担保されたときに(生産量が減ったとき)、たぶん価格が上がる。需要に対する供給が足りない状態になるのだからそれはそう。その前提として、市場に放出されるという状態が当然必要で、需要を作り出しているのは市場である。市場に商品が存在すること。

「地産地消」と同人活動をなんとなく繋げたくなるのは、たぶんそれに対比してみている「市場」とは、生産者と消費者がなんの関係もない場だからで、逆に生産者と消費者が金銭的関係以外のなんらかの具体的関係を持つのが、「地産地消」だったり「同人活動」だったりするとおもう。自分が消費しているコカ・コーラがどこの工場で誰によって作られたかもほとんど気にしないのが「市場」における「商品」であり、消費と生産は完全に分離されている。

同人活動も地産地消もコミュニティ内経済活動のことを指している(それを経済活動と呼ぶのかは知らないけど)

市場経済というのは、生産地と消費地が分離している。都市は一大消費地だけど、その生産品がどこでどのように生産されているか不可視化されている。市場経済において、コミュニティというものは端的に意味がないというか破壊される対象でしかない。