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人間が刺激に対して反応するだけの機械だとしたら、視聴覚装置から脳に電気信号が到達するまでの時間があるから、反応は常に現実に遅れるとおもうけど、たぶんそれは予測可能空間内で調整されている(だから世界に対し適切な応答ができる)。道を歩くときにもこの脳内空間内での自分の身体の位置を定位しているはずだし。これがメンタルモデルなんじゃないだろうか。

UIの問題でいえば、自分の身体の空間内定位の問題がすっぽり抜けおちているから、世界内事物をこのように操作したらこうなる、という話になりがちで、どうしてそのようなイメージ上の制約が可能になるかが不明

そこで現象学ですよ、知らんけど

でもまあ、コンピュータ操作者が、コンピュータが提供する世界に世界内存在として自己を定位するって、マウス操作やキーボード操作などの入力デバイスとディスプレイやらなんやらの表示によって世界がどのように変化するかによって、自己の仮想的身体が定位されるとは思われるが、このときコンピュータ空間上に定位される「仮想的身体」はもはや現実の身体とまったく似ていないだろう。ポインターってなんだ。

コンピュータ操作においては、コンピュータ世界内存在と、いわゆる現実空間内の自己身体とで、身体イメージが二重化しているとかは考えられそうな気がする。
現実に歩くときにはこのような二重性は発生していない、身体が一つであることは自明に受け入れている。そりゃインターフェースが間接的だからだ、というのは当然ありうる議論だけど、それを言うと未来のインターフェースはより直接的なインターフェース(身体の直接的延長)だって話に落ちがちで、本当にそうか?という疑問はある。
むしろいままでの人類の道具群は、コンピュータのような間接的インターフェースとして構築されてこなかったのか?人間は仮想身体の二重化をうまく利用する術をもっているのではないか?など適当なことを考えた(離脱)。
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