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日本のフェミニズム系の美術史家たちが、簡単に「明治期の美術教育から女性が排除されていた」と書いてしまうのを読んでいるんだけど、たしかに東京美術学校は男性のみだが、そもそも東京美術学校に行くのはエリートだけなので男性も排除されている。
しかし、このへんはいまちょうど調べている領域で(明治20〜40年ころ)、私塾にはけっこう女性画家がいて、しかもけっこう活躍している。このへんごっそり無視されているのががっかりする。リンダ・ノックリンの記述をそのまま当て嵌めているだけに見えてしまう。
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明治後期から大正にかけて活躍した彼女ら画家の死後の評価は微妙なところで、作品をみる限りぜんぜんよかったりするので、悪いのは美術史家たちである。とはいえ同時期の男性画家も忘れられていて、覚えられているのが東京美術学校とかの作家や特定のコミュニティ近辺の作家という状況ではある。アカデミズムが男性中心主義だっただけなんだけど、アカデミーは女性だけではなくいろんな属性の人間を排除している。
いずれにせよ「女性は美術の教育機会を奪われていた」というのは、(海外がどうかはともかく)自分が知るかぎりではそんなに正しい記述ではないというか、むしろそう書くことによって、当時活躍した女性画家の存在が無いことになっていることを正当化する理屈に見えてしまう。

上記の件は、たとえば吉良智子さんのこういう記事です。 https://artnewsjapan.com/article/1495

このインタビューのなかでも

「そうした体系的な美術教育があったにもかかわらず、女性アーティストが活躍できなかったのはなぜなのでしょうか?」

という質問に対して

「女子に美術を積極的に教えようという議論はあったものの、その目的が「嫁入り道具」だったからですね。」

と答えてしまっている。それで、活躍した女性画家は「例外的」だとしている。

自分が知っているだけでも、明治の中期ころから上村松園がいて、それから明治後期に池田蕉園、島成園がでて、彼女らは「三園」と呼ばれてけっこうメディアにもでていたし院展などにもでていた。それ以外にも、市川秀方とか歌川若菜とかいる。 「活躍できなかったのはなぜなのでしょうか」という問いの立て方がまちがっているのに、それを否定もせずに理由付けして肯定してしまうのは、図式的な見方で見ているだけで、個人的にはけっこう許しがたい。

歌川若菜などはこの記事で知ったけど、もともと歌川派の家系であり、どこからどうみても花嫁修業ではない。 http://artistian.net/wakana_utagawa/

展覧会記録にも彼女らの記録はあるし、「女性画家の存在自体が想定外」だったわけでもなんでもない。

こんな思い込みで話すと、図式から外れたものを黙殺することになり、まさに「ジェンダー美術史」というものこそが「見落とされた芸術家」を作りだしてしまう当事者になっている。その史観こそが当時の女性芸術家たちの主体性を隠蔽しているんじゃないか。

これ改めてやっぱり腹が立つな。性役割の分業について言いたいのはわかるけど、嫁入り道具としての絵の修業がまるで悪いかのような扱いにも問題がある。このインタビュアーも吉良氏も「展覧会芸術としての絵画」というものを「画家としての活躍」だと見做しているわけで、絵画の生活技術的側面も捨象するし、口絵や挿絵などの職業的画家(イラストレーター)も「プロとしての活躍」に入っていない。