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北野圭介「ポストアートセオリーズ」、内容はともかく文体にウッてなるな...

内容もええっこれいいのか?みたいなのが多いな...

2010年にクラウスがポストメディウム論を打ちだし、その8年後に「自分はポストメディウムの時代だと謳っていたが、メディウムについて改めて真剣に論じなければならない」と発言し、ポストメディウム論の批評的立場を転換したとか書いてあるけど、そもそも1990年代後半くらい(?)からポストメディウムについて語っていたはずだし、最初からメディウム論にたいする否定的な媒介として位置付けられているはずで、立場の転換なんてしていない。
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@tenjuu99 基本的に図式が雑い。でも「お前の把握はぬるいから書き手失格」と言い出すと、誰も書けなくなる地獄が生まれるに決まってるので、美点と短所を洗い出して読むのが良い

@tenjuu99 ちなみに私は「記号VS身体」の図式がダメだー、の判定でしたね。ただ、情動論転回ではこういうストーリーテリングになりやすいんだろうなあ、と推定も起きる。

@ttt_cellule まだ第一部読み終わってないんですが、ポストモダンがぜんぶ記号になってしまって、それは資本主義と相性よかったみたいなことを言ってるところで「ええっ2021年にそんな雑な整理でいっていいの??」とはなりました。相性のよさというのも、かんたんな分析もあたえずに、芸術の記号的な読解と商品の記号性が似ているみたいな物言いが、マッピングにしても掘ってなさすぎていいのかこれってなってます。

@tenjuu99 ジョン・ナイトとかバーバラ・クルーガーみたいなシミュレーションアートとポストモダン理論をまとめて過去に葬る手続きなんだよ。新唯物論あたりが言ってそうなストーリー。

@tenjuu99 北野が(アメリカで学知形成しつつも)アメリカニズムに対して一定の疑念もあることと、映画が専門でアートに弱いことが、「なんとなく雑」として出る

@tenjuu99 真実在論も、スティーブン・ピンカーも「かつて席巻した社会構成主義」を叩くわけだけど、全部記号にしたという語り口はそのバリエーションの一つだよ。

@ttt_cellule このへんの流れ不勉強で理解できていなかったんですが、自分が最近考えていたタイプの言論は社会構成主義と呼ばれるもので、それに対する批判として新実在論や新唯物論がでてきているっていう流れなんですね。北野氏の叙述の背景は理解できました(雑という理解は変わらないですが...)。

@tenjuu99 「表象の政治(学)」と社会構成主義なりポストコロニアリズムなりを合わせて検索して調べればいいよ