pleroma.tenjuu.net

公益性とか公共性とかいう言葉で考えるからなんもわからんになるので、モノや場が誰のものでもないまま開かれている状態を維持するっていうのを考えるほうがよほど意味がある

たとえば、本ってモノとして置かれていると、誰のものかなとかは意識するけど、とりあえず開いてみることができるもので、でも電子書籍にはそういうことはできない。本にだって所有者がいるんだから同じことでしょっていうのはぜんぜんそんなことなくて、むしろそこで「本を開くことができる」ということができなくなっている、そのようにして、モノから開かれ自体が奪われていく。排除アートだって、あれも場を閉じたものにするためのものだ。
replies
0
announces
4
likes
11