日本で日本語文献中心に読んでると見えない領域がたくさんあって、DeepLつかってもいいし英語とかで読んでいくとかしかないんだけど、けっきょく翻訳増やしていくとかをしないと、それらが生みだされた文脈ごと(その言語の社会からは)欠如していく、もしくはコミュニティ間の分断になっていくなぁという印象がある。
今後は翻訳ますます減っていくだろうし、それにつれて各業界の島宇宙化も進むのだろうという気がする。
今後は翻訳ますます減っていくだろうし、それにつれて各業界の島宇宙化も進むのだろうという気がする。
こんなこと思うのも、ハラウェイの『状況に置かれた知』を精読しており、誤訳を云々しているのも在野の逆卷しとね氏くらいしか見当らないし、それ以上に、このテキストを読んでいくための前提となるもろもろのテキストが翻訳されておらず、たぶんこのテキストだけ読んでもまったく理解されるはずがない。文脈的にはフェミニズム科学論を把握する必要があるのだけど、このジャンルが日本語の学術領域であまりにマイナー領域で翻訳が少ない。フェミニズムも訳されているし科学社会論も訳されているけど、それが交差するフェミニズム科学論となると、たとえば科学社会論みたいなことを教えている大学の先生でもあまり把握していなかったりする。この時点でコミュニティの交差性の弱さがあるのだけど、専門外のテキストなんてわざわざ外国語で読もうなんておもわない気はする。けっきょく翻訳が揃ってこないと、自身の専門の内部で仕事してしまいがちになるわけだな、などおもっているところ。とくに、ハラウェイのように領域の交差点で思考するタイプの思想は、読むための基礎文脈がみえないからバラバラにしか見えていないとおもう。
@tenjuu99@pleroma.tenjuu.net 「翻訳すべき本を嗅ぎつける」「これを読めと潜在的な読者層にプッシュする」というのが、今になってもなかなか難しいようですね。大学に来ている学生も、学費を払って無為に過ごしたいと思っているわけではないだろうから、リスクをとってやるべきことだと思うのだけど…。
@yuriha 日本は、しばらく前までは学術翻訳には意義が認められていて(とくに文系の話です)、「なんでこれ訳したの?」みたいなのも含めて翻訳があったりしますが、今後はもうその世界も維持できそうもないですね。今後の人は個人プレーで頑張っていくことになるんだろうなとおもっています。
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