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身売りの日本史、想像してたよりはるかに良書だった。難しくてまだよく理解できていないけど。

〈身売り〉の日本史 - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版
https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b99569.html

読了。最近読んだ本のなかでもっとも学びのある本だった。

秀吉のころから人売り買いは違法行為になり、諸大名も徳川幕府もそれに倣ったけど、著者は、そこで意味される「人売り買い」とは「かどわかし(誘拐)」と「人商い(誘拐されてきた人の売買)」に限定されるもので、金銭による人身の売買は可能であったし実際に合法だったと論じている。
中世で「下人」と呼ばれた身分は合法的な財産であり、また人を質に入れて借金することも合法であったから、借金が返せなくなったら質としての人は下人化した。秀吉も徳川幕府もこれを非合法化したことはなく、あくまで拉致・詐欺による人身売買を非合法化した(というかこれは中世から伝統的に非合法だった)。

下人身分は近世にいたって「奉公」という契約にもとづく雇用関係となり、近世的な労働観念に変化していくが、雇用関係に取り込まれない存在があり、それが女性である。妻や子というのは家父長が処分してよい財産のようなものとなってしまっていた。年貢がおさめられなかったり借金が返せないとき、家父長は妻や子を売って保障したし、貧困対策なんてあったものでもないから、幕府も飢饉に際しての人身売買は違法ではないと特例化してしまう。近世において、雇用関係の変化と家父長制の発達が、いわばコインの表裏の関係になっているというのは勉強になった。

というか、上記のようなことはフェミニズムの言説でしばしば聞くことではあるけど、日本の中世・近世史における具体的な人身売買の歴史に、フェミニズムがここまで有用な読解の枠組みを与えるものなのか。

また武家のみならず、村・町のなかで一軒前と見なされた「イエ」の家長に、幕府はおしなべて家父長権を保障した。おおよそ夫婦かけ向かいに子女・祖父母をふくめた現代の世帯にほぼ等しい家族の家長に、「イエ」に関する権利を授け、義務を負わせた。これによって、手に餘り共同体(村・町)や一族・親類といった縁者に見放されても、体勢矛盾の発露である諸問題を最終的に「イエ」内で解決できるシステムとした。そうして、手伝い・家事・子育て・介護を家内における不払い労働によって充たすことも、年貢未進や債務の弁済を家長の権限のもと妻子を売却することで解消することも、すべて社会的に正当な行為であるとすることができた。(p. 156)

江戸時代に「奴刑」というものがあり、それは女性を「奴(やっこ、下人、奴隷)」とする刑罰だが、夫が大罪によって家を取り潰すときに妻・娘も連座で罰を受けた。妻は家長の代理になれたし娘も婿をとれば家が存続できたため、家の存続を不可能にするため「奴」にしたのだが、そうすると徳川幕府の前提としては「家」を担いうる存在とそうでない存在がいて、それが下人身分である。この奴は結局金銭でどこかの婢女としてもらわれることになるけど、これも「奉公」という契約関係ではないということになるのだろう(pp.142-143の記述参照)。
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この本、最初に2010年ハイチでの震災に乗じて人攫いがあったという現代の海外事例の紹介から始まり、最後に現代日本が人身売買に寛容な国と見做されているという話で締め括る。日本が人身売買に寛容というのは、外国から日本に売られてくる場合のことで、それを違法化する法律がなかった。人身売買罪がつくられたのが2005年のことである。

それまで、人身取引されて日本に連れてこられた女性たちは不法滞在者、つまり出入国管理法違反の犯罪者として扱われ、国外強制退去=本国への送還措置がとられていた。被害者である彼女たちを保護・救済する視点が、もともと欠けていたといえる。(p. 239)

まったく今と直結しすぎていて、「本がおもしろかった」と無邪気な感想を言って済むような話でもない…。